主日礼拝
4月23日(日) 午前10時30分より
説 教:「罪びとを招くために」
聖 書:ルカによる福音書5章27-32節
説教者:小野慈美牧師
当時、主要な道路には、収税所があり、荷物を運ぶ馬車などから通行税を取っていました。ローマ帝国の力を後ろ盾として、税額は徴税人が自由に決めることができたので、彼らは私腹を肥やし、同じユダヤ人からは忌み嫌われていました。また、異邦人と接触していたので罪人とも呼ばれました。
徴税人のレビはイエスのうわさは聞いていたかもしれませんが、知り合いではありませんでした。ところが驚くべきことに、主イエスはレビをじっとご覧になって「わたしに従いなさい」(27)と言われました。レビは、主イエスのまなざしに出会って、このお方に従うところに人間の真の生き方があると直感したのです。「何もかも捨てて」(28)とは、収税所の上司に辞表を出したという意味でしょう。
彼は新しい上司である主イエスのために、徴税人や他の人々を大勢集め宴会を催しました。
それを見ていたファリサイ派の人々やその他の律法学者たちはイエスの弟子たちにつぶやきました。
「神に近付きたいなら、宗教的に穢れた人たちと付き合うことをやめなければならないのに、なぜあんな連中と飲食を共にするのか。」ファリサイ人たちは、とてもまじめな人たちでした。まじめであることが悪いのではありません。ただ、まじめな人(「正しい人」)が陥りやすい過ちは、自分がまじめであるゆえの自信があるので、他の人を裁いてしまいやすいことです。自分は清く正しいという自負がありました。正しさの基準は自分たちが知っており、そして、その基準を満たさない人々を裁く資格があると思っていました。しかし、その正しさは神様が求めておられるものではありませんでした。
「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(32)と主イエスは言われました。正しいと思っている人は勝手にしなさいと突き放しているのではありません。わたしたちは、神の前では例外なく罪人であり、主イエスを必要としています。主イエスは、ファリサイ人をも招いておられるのです。
キリスト者とは、立派な人になることではなく、「わたしに従いなさい」との主の言葉を、自分への呼び掛けとして聞き、方向転換をして従うことです。従うときに私たちは、新しくされます。
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前 奏 - ただ汝に、主イエス・キリストよ - J.バッヘルベル
招 詞 エフェソの信徒への手紙 第6章10-13節
賛 美 21-393 こころを一つに
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第133編
賛 美 - キリストは今よみがえられた - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-318(2,3,4節) 勝利の声を
聖 書 ルカによる福音書 第5章27-32節 (新共同訳新約 111頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「罪びとを招くために」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-432 重荷を負う者
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-90(1,4節)(アーメン) 主よ、来たり、祝したまえ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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