主日礼拝
5月14日(日) 午前10時30分より
説 教:「ほっとする愛」
聖 書:ヨハネの手紙Ⅰ4章7-12節
説教者:小野慈美牧師
人間の愛は、親の子に対する愛でさえも条件付きです。「良い子」であることを、愛の条件にしているのです。そして、不用意に「そんな子はわたしの子ではありません。おまえがわが子だと思うとなさけなくなる」などと言ったりします。子供は存在を否定されたかのように感じ、傷つきます。
条件付きの愛で子供を育てていると、結果として「役に立たない人間、生産性のない人間は価値がないのだ」という価値観を植え付け、やがて親を疎んじることをわが子に教えているのです。親は、老いれば、経済的な意味では有用性、生産性がなくなっていくからです。結局、条件つきの愛は、相手のためではなくエゴイズムの押し付けです。それに対して、主イエスの愛は無条件の愛でした。まずその人の存在を肯定し、その人がその人らしく生きることを願い助けるのであって、始めから、「こうあるべきだ」と押しつけませんでした。主イエスの愛は、傷ついた人をほっとさせる愛でした。
わたしたちが、他者をほっとさせる愛に生きることができないとしたら、自分自身がほっとしていないからかもしれません。過去の過ちや、子育ての失敗を未だに後悔し、神様から裁かれている思いから抜け出せない。でも、失敗のない人生なんかないし、子育てに失敗しない親なんていません。過去のことは赦していただくしかないのです。確かに、現実世界では、償いをしなければならない場合もあります。しかし、神は、主イエスの十字架の死によって、あなたの罪を完全に無条件に赦してくださった。それが福音です。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(Ⅰヨハネ4:10)。
ですから、神に対して「良い子」を演じる必要はありません。完全に愛され赦されているから、自分の罪を割り引かずに、しかも恐れずに直視できます。「完全な愛は恐れを締め出します」(同18)。「完全な愛」とは、人間の側の愛ではありません。人間の愛はいつでも不完全、不純、中途半端です。にもかかわらず、「神がまずわたしたちを愛してくださった」(19)のです。神の完全な愛、ほっとする愛の湯船につかって、温められましょう。ほっとすれば、ほっとさせることができるようになります。
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前 奏 - われらの救い主なる主イエス・キリストは - J.S.Bach
招 詞 詩編 第8編4-7節
賛 美 21-11 感謝にみちて
主の祈り (週報の最終頁をご参照ください)
交 読 文 交読詩編 第136編1-9節
賛 美 - キリストのように考え - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-480 新しい時をめざし
聖 書 ヨハネの手紙Ⅰ 第4章7-12節 (新共同訳新約 445頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「ほっとする愛」 小野 慈美 牧師
祈 祷
任 職 式 教会学校奉仕者
賛 美 21-484 主われを愛す
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-92(1,3節)(アーメン) 主よ、わたしたちの主よ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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