主日礼拝
5月28日(日) 午前10時30分より
説 教:「命を救うこと」
聖 書:ルカによる福音書6章1-11節
説教者:小野慈美牧師
安息日に労働してはならないという規定を守ることは、ユダヤ人にとって大事なことでした。
①1-5節。弟子たちが麦畑で麦の穂を摘んで食べました。これは旅人には許されていることでした(申命記23:25-26)が、それが安息日だったので咎められました。収穫の労働に当たるからです。
それに対して、主イエスは、サムエル上21章の例を挙げて答えました(3-4)。仕事をしないということが大事なのではない。安息日とは、本来、人に命を与える日、人を生かす日なのだ。仕事から離れて感謝と喜びをもって神の恵みを味わい知る日なのだ。「人の子」(5)とは、主イエスのことです。安息日の本来の祝い方を取り戻すために、主イエスは世に来られました。
②6-11節。主イエスが安息日に会堂に入ると、そこに片手の萎えた人がいました。生死に関わる場合以外、安息日には治療は禁じられていました。主イエスは手の萎えた人を真ん中に呼び出して、人々に尋ねました。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」(9)。そして、「手を伸ばしなさい」と言われ癒されました。すると「彼らは、怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」(10)とあります。イエスを殺す計画を練り始めたのです。
癒された男の立場に身を置いてみましょう。当時は、難しい病気は罪の結果だという理解がありましたから、彼は身体的な苦しみだけでなく、罪人であるという宗教的な苦しみも味わっていました。しかし主イエスが安息日規定を破ってまで癒してくださいました。それは同時に罪の赦しの宣言でもあったのです。そして、主イエスはまさにこのような言動のためにやがて十字架につけられました。彼にとっては、主イエスはまさに「自分のために死んでくださった」のです。
わたしたちにとっても同じです。主イエスはわたしたちの命を救うことを何よりも優先なさって、十字架につかれました。その主が毎週私たちを招いてくださいます。「ここが、あなたの真の安息の場だ。ここであなたは罪の赦しを受け、命を得ることができる」と。私たちは、主イエスの前で、最も自由になり、安息を得ることができるのです。
※礼拝視聴にはパスワードが必要となります。お申し込みは こちら
画面内のフルスクリーンをクリックすると全画面になります。escキーで元に戻ります↑
Tweet
前 奏 - たたえよ、この日 - H.シュレーダー
招 詞 ヘブライ人への手紙 第4章14-16節
賛 美 21-17 聖なる主の美しさと
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第126編
賛 美 - 新しい時をめざし - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-480 新しい時をめざし
聖 書 ルカによる福音書 第6章1-11節 (新共同訳新約 111頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「命を救うこと」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-404 あまつましみず
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-92(1,3節)(アーメン) 主よ、わたしたちの主よ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
〒221-0804
神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
TEL 045-323-2967
FAX 045-323-3979