主日礼拝(ペンテコステ)・聖餐式
6月4日(日) 午前10時30分より
説 教:「隔ての壁を超えるもの」
聖 書:創世記11章1-9節
説教者:小野慈美牧師
創世記11:1-9は、人間が多くの言語を話すようになった原因を示す「バベルの塔」の物語です。
人々は「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」(4)と言いました。人間が文化を形成し、何かを作り上げていく営みが悪いわけではありません。バベルの塔によって象徴されているのは、人間が神のごとくなり、人間だけの自立した世界を作ろうとする高慢です。
支配者・権力者は、自分の意思を効率よく実現するために、自分に都合の良い画一的な価値観や社会システムを作り出そうとします。それが「一つの民、一つの言葉」(7)の意味です。一つの主義主張だけを絶対的に推し進めようとすると、異なるものを抹殺しようとする力が働きます。そこで、神様は「互いの言葉が聞き分けられぬように」(7)なさいました。ここには、人間の高慢がもたらす権力による一元的な支配構造、非人間的な社会システムに対する批判が込められています。なぜなら、効率が良いことだけを求め、画一化して行く社会からは愛が失われ、社会が非人間化していくからです。
愛とは、自分のものさしだけを基準にするのではなく、異なる相手との関わりを、相手を尊重し理解しながら作り上げていこうとする実に効率の悪い態度です。ことばの違いに象徴される隔ての壁を乗り越えさせるのが聖書の示す愛なのです。違いがあることは、愛することを学ぶチャンスです。神の裁きは、人間にとって最も大切なものを失わせまいとする神の恵みの裏返しでもあるのです。
一つの民、一つの言葉の社会では、強制による一致が求められます。そこには自発性がなく、同調圧力が働きます。ペンテコステの出来事は、神の愛のメッセージがさまざまな言語で語られたにもかかわらず、そのメッセージの持つ力によって同じ信仰をもつ人々が起こされていったということです。そこには自発性、任意性があり、個々人の主体性が保証されており、信頼による一致が生まれます。
神の言葉が大胆に力強く語られるためには、初代教会のように一同が違いを超えて「心を合わせて熱心に祈」(使徒1:14)ることが不可欠です。そのときペンテコステのときに働いた聖霊が、文字通り教会のスピリットとして息づくのです。
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前 奏 - 来たれ聖霊、主なる神 - M.ヴェックマン
招 詞 使徒言行録 2章1-4節
賛 美 21-57 ガリラヤの風かおる丘で
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第99編
賛 美 - 聖霊の神、きよき愛よ - 聖 歌 隊
教会の信仰告白
分かち合い
賛 美 21-344 聖霊の神、きよき愛よ
聖 書 創世記 第11章1-9節 (新共同訳旧約 13頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「隔ての壁を超えるもの」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-343 聖霊よ、降りて
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-80(1,2,4節) 今 与えられる
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-346(アーメン)来たれ聖霊よ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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