主日礼拝・聖餐式
7月2日(日) 午前10時30分より
説 教:「敵を愛せよ:現実的な勧め」
聖 書:ルカによる福音書6章27-36節
説教者:小野慈美牧師
主イエスは、ご自分に従う者への言わば「家訓」として三つの勧めをなさいました。
家訓Ⅰ)敵を愛しなさい(27-28):好きになりなさいということではありません。敵をも一人の人格として尊重しなさいということです。愛は、感情ではなく、態度・意思です。「祝福を祈る」とは、相手がうまくいきますようにと祈ることではなく、神様の最善がその人になりますようにと祈ることです。
家訓Ⅱ) 善をもって悪に報いなさい(29-30):やられっぱなしでいるという消極的で軟弱な態度ではなく「暴力や侮辱に対して、同じ暴力や侮辱で対抗することはしない」という毅然とした意思表示です。
家訓Ⅲ)報いを求めるな(32-34):最初から、報いやお礼を前提とするならば、それは取引であり、主イエスの願う愛ではありません。これは商売上の事ではなく、人間関係における心の態度の事です。
これらの家訓に従うことを難しくしているのは、因果応報思想です。「悪いことをしたら、ばちがあたる」という意味だけでなく、「良いことをしたら、必ず良い報いがある」という思想でもあります。これは相手の反応に影響されるので、生き方が不自由になるのです。良いことをすれば、良い報いがあるはずだという前提を変えることです。報いがあろうとなかろうと主イエスのご命令に従うのです。
「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである」(35)。「恩を知らない者、悪人」とは、あの人この人だけではなく、わたしたち自身でもあります。「あなたがたの父が(あなたがたに)憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者とな(れ)」(36)と主は言われるのです。恩知らずであり、悪人であるわたしたちに神様はまず一方的な赦しと憐れみを与えてくださったのですから、わたしたちも、人からの報い、報酬があるかどうかという因果応報に支配されない道を選ぶのです。
「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」(31)は黄金律と呼ばれます。牧師のわたしにとって一番してもらいたいことは、祈っていただくこと。だから、わたしも他の人のために、神様の祝福を祈ります。とりなしの祈りは積極的な愛の表現ですし、決して人を傷つけることはありません。祈っても相手は変わらないかもしれませんが、祈る自分は変えられていきます。特に「敵のために祈る」ことは、わたしたち自身が憎しみや恨みから解放されるための恵みの勧めでもあるのです。
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前 奏 - ただ汝に、主イエス・キリストよ - J.パッヘルベル
招 詞 詩編 34編9-10節
賛 美 21-6 つくりぬしを賛美します
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第13編
賛 美 - いかに幸いなことだろう - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-125 いかに幸いなことだろう
聖 書 ルカによる福音書 第6章27-36節 (新共同訳新約 113頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「敵を愛せよ:現実的な勧め」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-394 信仰うけつぎ
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-78(1,2,4節) わが主よ、ここに集い
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-401(1,4節)(アーメン) しもべらよ、み声きけ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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