主日礼拝
11月19日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「神様、かまわないでくれ!?」
聖 書:ルカによる福音書8章26-39節
説教者:小野慈美牧師
1)「科学で説明できないことは存在しない、迷信である」という思想を科学主義といいます。本当に科学的な態度は、「科学で説明できないことは、わからない。」と言うべきです。信仰においても、すべてを合理的に解釈する合理主義的信仰は、神を自分の認識範囲に閉じ込めようとすることです。
2)「悪霊」とは、心理学や医学の知識の無い古代人の合理的でない幼稚な考えなのでしょうか。しかし、聖書では悪霊は象徴的なものではなく、リアルなものです。「我らを試みに合わせず、悪より救いだし給え」の「悪」は、抽象的な「悪」ではなく、「悪しき者」(口語訳)「悪い者」(新共同訳)です。つまり「悪しき者」は、サタンとその勢力(悪霊)を示しているのです。悪霊は、信仰と希望と愛を奪います。
①信仰を奪います。神が信頼できなくなります。悪霊は「おまえはだめだ。神さまはおまえのことなど心にかけておられない」と神の愛に不信をいだかせ、神との交わりを壊すのです。
②また、希望を奪うのです。悪霊は、現実を否定的に見せようとします。自暴自棄にさせます。神に対しても、他者に対しても「無いものねだり」をします。無いものねだりは必ず正しいのです。したがって無いものねだりをしている限り、絶望感は深まっていきます。
③そして、愛を奪います。人は、自分だけ苦しむのはいやなので、他者を傷つけるようになるのです。
3)「かまわないでくれ」、という自暴自棄の態度の背後には「助けてくれ」という叫びがあります。主イエスは、心の奥深くに秘められた叫びを聞きとりました。そして、結果として多くの豚が犠牲になったとしても、助けることを選び取りました。この出来事を第三者として読むと、「もっと合理的な方法をとれなかったのか」と批判したくなります。しかし、わたしたちがこの男の立場であれば、話は変わってきませんか。どんな犠牲を払ってでも、自分を救ってくださろうとする思いがこの出来事には示されています。このときは、豚二千匹(マルコ5:13)が犠牲となりましたが、十字架においては、主はご自身の命をささげられたのです。漠然と「人類一般のため」ではなく、「あなたのため」にです。
悪霊は巧妙に私たちを惑わします。しかし「イエス・キリストはまことの勝利者だ。イエス・キリストは私の救い主だ」と宣言するときに、悪霊の支配から解放され、信仰・希望・愛を与えられます。
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前 奏 - しずけき祈りの - W.B.ブラットベリー
招 詞 詩編 第103編8-10節
賛 美 21-4 世にあるかぎりの
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第147編1-9節
賛 美 - 主われを愛す - ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 讃美歌426 私たちを生かす
聖 書 ルカによる福音書 第8章26節-39節 (新共同訳新約119頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「神様、かまわないでくれ!?」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-451 くすしきみ恵み
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-517(1,4,5節)(アーメン) 神の民よ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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