クリスマス礼拝
12月24日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「東方の博士:予期せぬ訪問者」
聖 書:マタイによる福音書2章1-12節
説教者:小野慈美牧師
「ひれ伏して幼子を拝み、…贈り物をささげた」(11)。
さりげなく書いてあることですが、よく考えてみると不思議な光景です。博士(占星術の学者)たちが地位も名誉も財産もある人たちであるのに対して、この幼子は何も持っていないただの赤ちゃんです。拝んだところで、何かの見返りを期待できるわけではありません。しかし、彼らは自分たちの宝をこの幼子にささげました。この幼子こそ、礼拝するべきお方だと知ったからです。
①この幼子は実に畏るべき存在です。この幼子の前に立つとき、人間の本性が照らされ、本音があらわにされます。見返りがあるかどうか、賞賛を得られるかどうかではなく、真実に生きているかどうかが問われてくるのです。心の奥深くを探ってみると、わたしたちのなすことには、たいていひそかな打算やもくろみ、自己顕示欲が潜んでいるものです。つまり、或る事が真実なことだから、本当に大切なことだからするというのではなくて、するかしないかを損得で判断してしまうのです。しかし、この幼子はわたしたちの偽善を見抜きます。ごまかしはききません。
②この幼子は実に慈しみ深い存在です。この幼子は、どんな人間をも拒絶しません。ただひとつの条件、それはへりくだりです。へりくだらないと、結果的にこの幼子に近づけないのです。この幼子の前で、学歴を誇ったり、財産を誇ったり、業績を誇ったりするとしましょう。そういう場合、私たちはこの幼子を上から見下ろすことになる。どうしたって幼子からは距離ができてしまう。どうしたら、近づくことができるか、へりくだってひざまずくのです。博士たちは主イエスを訪問しました。しかし、実際彼らが幼子に出会ったとき、この幼子こそ、彼らにとって、予期せぬ訪問者であったのです。つまり、彼らの人生を根底から問う存在として、幼子は彼らの心に深く入り込んできたのです。
わたしたちもこの幼子によって見つめられています。あらゆるごまかしを見抜くまなざし、しかし、へりくだる者に対しては決して拒絶しない暖かい温かいまなざしで。私たちが心から悔い改め、へりくだるとき、幼子はわたしたちを受け入れ友と呼んでくださいます。わたしたちが博士たちと同じ心で生きるなら、人の目に留まろうと留まるまいと幼子に仕え、自分の最もよいものを捧げていくのです。
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前 奏 - 「メサイア」より、田園交響曲 - G.F.ヘンデル
招 詞 イザヤ書 第40章9節
賛 美 21-265 (1,3,4節)天なる神には
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第117編
賛 美 - グローリア -(ヴィヴァルディ作曲「グロリア」第一曲) 聖 歌 隊
転入会式 堀田姉、塚原姉
分かち合い
賛 美 21-244(1,3,5節) キリストは明日おいでになる
聖 書 マタイによる福音書 第2章1-12節 (新共同訳新約2頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「東方の博士:予期せぬ訪問者」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-258(1,3,4,5節) まきびとひつじを
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-261(1,4節)(アーメン) もろびとこぞりて
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
本日の礼拝で新しく2名の方が転会されました。
礼拝後、クリスマスを祝う愛餐会を行いました。
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