主日礼拝
2月11日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「復活の素地」
聖 書:ルカによる福音書 第9章28-36節
説教者:長谷川 温雄 師
キリストの平和が皆さんにありますように。説教の題名を省略しないでいいますと、「イスラエルにおけるイエス・キリストの復活の歴史的素地」ということになりますが、長すぎるので短くしました。また讃美歌が相応しいかどうか気になっています。しかし急なことでしたのでご容赦ください。
さて、初めに与えられた章句のあらましについて語ります。先日の9:21-27に続いて起きた事柄と考えられます。主は祈るために近くの山に登られました。ペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れてゆかれたのです。後に付いて山に登った弟子はその場で、祈っておられるイエスが光に輝いているのを見ました。モーセとエリヤが現れて、イエスと話し合っておられた。それはエルサレムでの主の最後のことでした。眠かったに違いありませんが、その時ペトロがイエスに「素晴らしい」といい、この3人に長くとどまってほしいと思ったのでしょう、小屋を提供しようとしましたが返事がなかった。ペトロは「自分でも何を言っているか分からなかった」と言っています。もう一つは雲の中から神の声が聞こえ、「これに聞け」と言われたことです、そのあとでイエスと3人の弟子はこれらのことを当時だれにも話さず、下山したのです。次にこれらの章句を通して黙想してみましょう。
一つはなぜモーセとエリヤが神に送られて現れたのか? もう一つは、弟子たちは当時沈黙を守っていたのか?の2点です。モーセもエリヤもヤーウエの忠実な予言者でした。彼らはイスラエルの人たちを神に導いたのですが、そのたびに人々は、「生ける神」より律法を守ることとか偶像礼拝に陥って、真の神礼拝から離れ罪を犯しました。主イエスの時代にも同じことが続いていたのです。それが主イエスの神から遣わされた理由です。このように真の礼拝が死んで、新しい礼拝に還らねばならない。ヤーウエへの信仰の復活が神から求められていました。「復活の素地」があったということが出来ます。
黙想すべき第2の点は、イエスの死と復活が人々に与える影響の深さです。これらの事柄が知れ渡ると、弟子も人々もイエスから離れ去ってしまう危険がありました。そこで主の死の起こる前に、「誰にも話さなかった」という事柄なのでしょう。
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前 奏 - 祈り - 鷲見五郎
招 詞 ヨハネによる福音書 第14章25-27節
賛 美 21-6 つくりぬしを賛美します
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第125編
賛 美 - イエスきみはいとうるわし - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-443 冠も天の座も
聖 書 ルカによる福音書 第9章28-36節 (新共同訳新約123頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「復活の素地」 長谷川 温雄 師
祈 祷
賛 美 21-280 馬槽の中に
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-401(1,4節)(アーメン) しもべらよ、み声きけ
祝 祷 長谷川 温雄 師
後 奏
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