主日礼拝
4月29日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「見よ、それは極めて良かった」
聖 書:創世記5章21-24節
説教者:佐藤和久師
神様の祝福を受けて結ばれたアダムとエバの生活は蛇の誘惑にあい、神様を第一にする家庭ではなくなったのでした。彼らはカインとアベルのふたりの子を得ましたが、兄カインが弟アベルを殺すという悲惨な出来事が起き、親として実に不幸な日々をおくりました。やがてセトが生れ、その子孫がようやく神様を拝む者となったと語ることによって(4:26)、聖書は希望の光を見ます。ところが、4:19によると、メトシェラの子レメクは最初の重婚者でした。
さらに自己の殺人を正当化し、徹底的復讐をなしうる自分の力を誇示した人物でした。カインはそれでも、自分の罪の報いにおびえるだけの可愛いげがあり(4:14)、神様も憐れみをもって彼を守ることを約束されましたが、それに比べると、レメクは、息子トバル・カインが作った武器によって、だれにも負けない絶大な自信を誇り、暴力を誇示します。これの現代版を私共は平和憲法無視、軍備拡張論に見ることができ、恐ろしい現実をまざまざと目にいたします。しかし、5:5節に「アダムは九百三十年生き、そして死んだ。」という言葉は、生きることに汲々とする私たち人間に対してするどく斬り込んできます。たといアダムのように九百三十歳まで生きても、「彼は死んだ」のです。
死こそが私たちの人生の行きつくところです。しかし、聖書は人生のはかなさを語るだけの書物ではありません。命の書です。5:21~24節までのエノクについて記される中にはっきり語られています。エノクだけは三百六十五歳、他の九人のほとんど三分の一でしかないのに。エノクにだけ「そして死んだ」とは記されていません。「エノクは三百六十五年生きた」そのあと、「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(24)と記されています。神様と共に歩むことをひたすら求め、それを何よりも大切にする人は、あるいはその命が他の人の三分の一で終わるとしても、「神が取られ」るのですから、その人に死はないのです。かえって自分の命を救うのです。
エノクの物語は、まことにするどく迫る言葉ではないでしょうか。セトの子、エノクの名は、「人」を意味しますが、語源的にはアダムの意味する(人)とは違って、弱い者、病んでいる人のことです。弱く、病んでいる自分の心の真相を知るならば、人は祈らないでは居られません。ご利益目当ての祈りではなく、主なる神の聖名を讃える祈り(26)です。もしかするとエノクは病を持つか体質が強くなかったのかも知れません。それで「エノク」弱い人、病む人と呼ばれたのでしょう。それでも自分の弱さをもって神様と共に歩み通した彼を聖書は22節から24節の短いところに二回も「神と共に歩み」と掲げるのです。
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前 奏 - ガリラヤの風かおる丘で - 蒔田尚昊
招 詞 アモス書 第5章6節a
賛 美 21-24 たたえよ、主の民
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第100編
賛 美 - しずかな喜び - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-323 喜び祝え、わが心よ
聖 書 創世記 第5章21-24節 (新共同訳旧約7頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「見よ、それは極めて良かった」 佐藤 和久 師
祈 祷
任 職 式 教会役員(執事・監事)
賛 美 21-358 小羊をばほめたたえよ!
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-25 父・子・聖霊に
祝 祷 佐藤 和久 師
後 奏
礼拝内で教会役員任職式がありました。
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