主日礼拝
6月24日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「誰を恐れるべきか」
聖 書:ルカによる福音書12章1-12節
説教者:小野慈美牧師
きょうの箇所のテーマは、「人間を恐れず、神を恐れよ」です。神を恐れないと、人間を恐れるのです。
1)「人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。」(10)
人の子(イエス)の悪口を言うとは、地上のイエスを、無知や無理解のゆえに受け入れないことですが、そのような者たちのために主イエスは祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。例えば、パウロは、キリスト教の迫害者でイエスの悪口を言いましたが、イエスは彼を赦されました。その際、「なぜ、わたしを迫害するのか」と耳の痛いことを言われました。わたしたちも聖書を読み、メッセージを聞き、耳が痛いと感じることがあります。それは、主の深い恵みであり、悔い改めへの導きなのです。ところが、耳が痛いときに、自己正当化ばかりする。あるいは過ちを犯しても非を認めず、人に対しても神に対しても謝罪しない。これが「聖霊を冒涜する」罪です。なぜなら、人をごまかせても、神をごまかすことはできないからです。
2)人を恐れるな
①人の評価を恐れるな(1-3) 「偽善」とは表面だけ取り繕うことです。他人から良く評価されること自体は悪いことではありませんが、それを目的とすることは「心を見る」神を恐れないことになります。
②この世の権力を恐れるな(4-7) 神を恐(畏)れるという一点に忠実であろうとする態度が最も大切です。この世の様々な仕組みや人に対して礼を尽くします。しかし最終的に縛られないことです。
③信仰のゆえに人からどのように思われるかを恐れるな(8-12) 「言い表す」とは信仰を告白することです。自分の信仰を恥ずかしがるなら、主イエスも私たちを恥ずかしがると言われます。
3)神を恐れよ ②、③は、迫害下の初代教会を念頭に福音書記者が記したのかもしれません。今日、私たちには目に見える迫害はありませんが、基本的な態度は同じです。神様が求めておられることを自分も求める。具体的な状況の中で、「イエス様ならどうなさるだろうか」と問う。それが神を恐れることの意味です。そう考え祈って決断しても、失敗することがあります。そのときには、率直に自分の誤りを認め、神に対しても人に対しても詫びることです。神様は慈しみ深いお方であり、一度失敗したらもう終わりだというのではなく、そこからまた新たな導きを始めてくださいます。
※礼拝視聴にはパスワードが必要となります。お申し込みは こちら
画面内のフルスクリーンをクリックすると全画面になります。escキーで元に戻ります↑
Tweet
前 奏 - いと高きところには神にのみ栄光あれ - G.ベーム
招 詞 ローマの信徒への手紙 第12章2節
賛 美 21-425(1,4,5,6節) こすずめも、くじらも
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第33編1-15節
賛 美 - 天の神、祈ります - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-354 天の神、祈ります
聖 書 ルカによる福音書 第12章1-12節 (新共同訳新約 131頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「誰を恐れるべきか」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-357 力に満ちたる
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-536(1,2節)(アーメン)み恵を受けた今は
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
〒221-0804
神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
TEL 045-323-2967
FAX 045-323-3979