主日礼拝・聖餐式
7月1日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「貪欲に注意!」
聖 書:ルカによる福音書12章13-21節
説教者:小野慈美牧師
ある人が遺産相続の争いのことでイエス様に助けを求めたとき、イエス様は直接答えることをせずに「どんな貪欲にも注意を払い用心しなさい」(15)と言われました。そして、たとえを話されました。
金持ちが財産を貯めこんだことが愚かなのではありません。「こう自分に言ってやるのだ」(19)は、ギリシャ語を直訳すると「わたしの魂(プシュケー)に言おう、魂よ」となります。すなわち、自分の魂を、持ち物によって保証しようとしたことが彼の愚かさなのです。人が生きるということは、単なる生物的生命活動ではありません。「あなたの魂(プシュケー)は今夜のうちにも取り去られるであろう」(20口語訳)とは、生物的な命も含めて、命が、神から与えられたものに他ならないことを示しています。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)。これは、パンを否定しているのではなく、パンさえあればそれで事足れりと考えるのが間違いだということです。生物的な命はパンで支えられますが、それがすべてではない。「神の言葉で生きる」とは、神との交わりのなかで生きるということ。神のことばを聞き、神の愛を知りつつ生きるということです。
ところが、この神との交わりを妨げるのが貪欲です。お金や物が人を奴隷にする危険をイエス様は深く知っておられた。それらのものが、人間をパンだけで生きる者にしてしまう魔力を持っているからです。また、貪欲とは、他者を犠牲にしてでも自分の思いを実現しようとする生き方、あるいは、自分さえ得すればよいという生き方につながります。これがまさに自己中心という罪です。
「神の前に豊かになる」(21)とは、神との交わりに富むことです。神に愛されていることの豊かさを知りその愛を他の人々と分かち合って生きることこそ、人間にとっての幸いなのです。キリスト者も貪欲から自由ではないのですが、幸いなことは、その自分の罪に気づかされて、悔い改めることができるということです。ですから、このたとえは、おどしではなく豊かな命への招きです。そして、このたとえを裏返すならば、こう言うこともできるでしょう。神の言葉によって生きる豊かさを知ったなら、たとえ今夜肉体の命が取り去られてもかまわないのだと。
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前 奏 - われ悩みのきわみにありて - J.S.Bach
招 詞 ローマの信徒への手紙 12章1節
賛 美 21-11 感謝にみちて
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第54編
賛 美 - キリストの腕は - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-413 キリストの腕は
聖 書 ルカによる福音書 第12章13-21節 (新共同訳新約 131頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「貪欲に注意!」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-522 キリストにはかえられません
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-80(1,2節)今 与えられる
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-564(1節)(アーメン)イェスは委ねられる
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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