主日礼拝
7月22日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「慈しみはとこしえに」
聖 書:詩編118編1-9節
説教者:小野慈美牧師
「慈しみはとこしえに」(1,2,3,4)の「とこしえに」とは、「ずーっと」という時間の長さではなく、「変わらない」「ゆるがない」という意味です。「慈しみ」は、「愛」と言い換えられます。「(神の)慈しみはとこしえに」という言葉は、すべての人に与えられている約束です。この約束を信じるとはどうすることなのでしょうか。
1)過去を振り返る:「苦難のはざまから主を呼び求めると、主は答えてわたしを解き放たれた」(5)は、出エジプト3:9を連想させます。モーセによってイスラエルの民がエジプトから解放された後で歌った「主はわたしの力、わたしの歌、主はわたしの救いとなってくださった」(出15:2)がそのまま、詩編118編14節に採用されています。(詩編118:14では、「主はわたしの砦、」と訳されていますが、ヘブライ語では全く同じ言葉です)。つまり、118:5の「解き放たれた」の背景には、出エジプトの出来事があるのです。出エジプトの出来事を思い起こすときに、神は必ずや御業を為してくださるという信頼を新たにされます。
2)現在の神の慈しみに目をとめる:「今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう」(24)。
健康で、長生きして、経済的にも、人間関係にも恵まれ、最後は穏やかに息を引き取る。こういう人生を普通は恵まれた人生と考えます。しかし、人間的に不幸と思われることが、神から見放されたしるしであるということではないのです。神の慈しみは、状況の善し悪しに左右されません。私たちは「この辛さや苦しさが無くなって始めて神様の恵みが与えられたと言える」と思いがちです。しかし「この困難な現実の中にも神の慈しみはあるのだ」。そのように信じることがわたしたちの信仰です。人間が「神様の慈しみはこうであるべきだ」と決めつけていると慈しみは見えなくなります。信頼の目を持って、私たちの現実を見ていくときに、実は、毎日が、神のみわざの現われる日であることに気づかされます。
3)未来を信じる:讃美歌21-471番の「勝利を望み」の関連個所として詩編118:13-14が挙げられています。We shall overcome some dayという歌詞のShallは「神様がそうしてくださる」。Overcomeは「困難を乗り越える」。Some dayは「いつか必ず」。ですから、歌詞の意味は「私たちは、いつか必ず困難を乗り越えることができる(と神様は約束しておられる)」です。今も生きておられる神は、神の時が満ちたならば、必ず勝利してくださることを信じて希望を持って歩みましょう(たとえ、自分の生きている間に実現しないとしても)。
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前 奏 - イエスは我が喜び - J.G.Walther
招 詞 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 第2章13節
賛 美 21-495 しずけき祈りの
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第13編1-6節
賛 美 - 主よこの時代に - 聖 歌 隊
転入会式 森 克子姉
分かち合い
賛 美 21-413 キリストの腕は
聖 書 詩編 第118編1-9節 (新共同訳旧約 957頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「慈しみはとこしえに」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-152 みめぐみふかき主に
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-564(3節)(アーメン)イェスは委ねられる
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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