主日礼拝(宗教改革記念)
10月28日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「人の言葉と神の言葉」
聖 書:テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2章11-13節
説教者:小野慈美牧師
パウロはテサロニケに教会を立てた後、旅先から彼らに手紙を書き、こう言っています。「わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。パウロの言葉(説教)が自動的に神の言葉として聴かれたのではありません。パウロに限らず、牧師たちの説教も「人の言葉」ですが、それがどのようにして「神の言葉」となるのでしょうか。
1)説教が聖書に基づくものであるとき
パウロは、自分の思想を語ったのではなく、聖書に基づいて説教をしました(使徒17:2-3)。それが、パウロの言葉を神の言葉として受け入れる人たちを生み出した理由です。聖書の解釈の違い、多様性というものはあるので、牧師によって聖書の読み方に違いが出てくるのは当然です。しかし、もし、牧師の説教が明らかに聖書を逸脱するような内容であるならば、それは神の言葉ではなくなります。
2)語る者と聞く者との間に信頼があるとき
パウロが伝道旅行で、テサロニケに滞在したとき、「母親がその子どもを大事に育てるように」語りました。相互に信頼の思いがあったことが伺われます。同じ言葉でも、信頼が無ければ素直に聞くことはできません。信頼は、好き嫌いとは違います。パウロも誰からも好かれたわけではありませんが、彼の言葉は信頼をもって受け止められたのです。牧師もすべての人に好かれるわけではありません。しかし「あの人は嫌いだけど、言っていることは信頼できる」という関係でありたいと願っています。
3)聖霊の力によるとき
聖霊が働かれるとき、人の言葉である説教が神の言葉として受け入れられます。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(1コリント12:3)。テサロニケの人々も初めから納得して聞いたわけではないでしょう。しかし、聖霊が働いてくださり次第に心が変えられていき、パウロの言葉を神の言葉として聴くことができるようになったのです。
聖書に基づき、信頼関係の中で、そして聖霊の働きを求めながらなされる説教は神の言葉であり、神の言葉として聴かれるという奇跡が起きます。そして神の言葉として信じ受け容れるときに、事実、それは神の言葉となり、その言葉は、受け容れた者の中で生きて働く力となるのです。
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前 奏 - いと高きところには神にのみ栄光 - G.ベーム
招 詞 ヘブライ人への手紙 第4章15-16節
賛 美 21-140(1,3,4節) み神のすまいは
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第46編
賛 美 - 神はわが砦 - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-377(1,3,4節) 神はわが砦
聖 書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 第2章11-13節
(新共同訳新約 375頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「人の言葉と神の言葉」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-50 みことばもて主よ
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-88(アーメン)心に愛を
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
<宗教改革記念日>
1517年10月31日、ドイツのマルティン・ルターはヴィッテンベルク市の教会の扉に「95カ条の論題」を貼り出しました。これが宗教改革の始まりとされています。多くのプロテスタント教会では、10月31日の直前の日曜日に宗教改革記念礼拝が行われます。
■創立70周年記念コンサート
10月28日(日) 午後2時より3時30分
記念聖歌隊、ジュニア聖歌隊、キッズクワイア、オルガニストによるコンサートを行いました。
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