主日礼拝
11月18日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「神の宴会への招待状」
聖 書:ルカによる福音書14章15-24節
説教者:小野慈美牧師
招かれた人たちは裕福な人たちでした。彼等は、土地の購入、牛の購入、結婚という理由で断りました。そこで主人は、貧しい人、体の不自由な人を招きました。彼らは、社会の一員とみなされていない人たちです。それでも席があいていたので、「通りや小道」にいる人にまで声をかけました。彼らは、おそらく住居を持たず、物乞いをしている異邦人と考えられます。こうして、宴会にやってきたのは予定外の人々でした。
これは、当時のユダヤ人たちへの警告として語られた例えです。彼らは、神に選ばれた特別な民であり、他の民(異邦人)よりも優れた民であると思っていました。しかし、その選ばれた民が、感謝を忘れ、形式的には神を礼拝しつつも、この世のことに心を用いるようになってしまいました。与えられるのが当然だと思っていると、感謝の念は薄れて行きます。「感謝」の反意語は「当たり前」です。主人は、あらゆる人を招きますが、招きに応じるのはそれを大いなる喜びと感じる人たちです。人は、なまじ何かを持っていると、持ち物を保つことが大事になり、神の宴会に招待されることの価値がしぼんで喜びを失ってしまいます。
礼拝は、神の国の宴会のひな型です。しかしその神の宴会への招きを受け入れない二種類の人々がいます。
①宴会に招かれている喜びと栄誉を感じられなくなってしまっている人々。神の宴会よりも、この世のさまざまな価値が大きくなってしまい、それらを優先するのです。②自分はふさわしくないと感じている人々。宴会に招くことを決めるのは主催者です。招かれた側が、自分は相応しくないと決めるのはおかしいのです。
自分には招かれる資格があるというのも傲慢ですが、自分には資格がないというのも、謙虚なようでいて、実は裏がえしの傲慢です。なぜなら神様の判断よりも自分の判断を優先させているからです。
神の宴会では、神様の恵みという食事が出されます。それは、あなたが一人の人間として尊重されているという事実です。あなたの隠された過ちをも、正直に言い表すならば、神様は赦してくださり、その重荷から解き放ってくださいます。重荷をかかえたままでは宴会での食事はおいしくありません。
最も栄誉ある神の国の宴席に座るための条件は、喜んで招待状を受け取ることです。神様は私たちを歓迎し、霊の食事でもてなしてくださいます。そして、最終的には、私たちが地上の生涯を終える時も、神の祝いの席に招かれます。そこで与えられる神様の慈しみは永遠であり、死によって奪われることはありません。
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前 奏 - いと高き神に - M.レーガー
招 詞 詩編 第103編8-10節
賛 美 21-10 今こそ人みな
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第19編2-11節
賛 美 - 喜びの歌を主に捧げよ - ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 21-225 すべてのものらよ
聖 書 ルカによる福音書 第14章15-24節 (新共同訳新約 137頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「神の宴会への招待状」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-430 とびらの外に
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-25 父・子・聖霊に
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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