主日礼拝
1月27日 午前10時30分より
メッセージ:「抜け目のない生き方」
聖書:ルカによる福音書16章1-13節
説教者:小野慈美牧師
「ある金持ち」(1)とは、大地主のような人で、土地や小作人を管理人に任せていました。この管理人は、主人が近くにいないことをいいことに、いい加減な管理をしていたのでしょう。そのことが主人の耳に入り、管理人は解雇されることになりました。彼はやめさせられる前に、主人の債務者たちを呼んで、証文の数字を低く書き換えさせました。一説によると、負債者の証文の数字には利息分も含まれており、彼は、負債を、利息を差し引いた数字に下げたということのようです。これは、負債者を喜ばせましたし、また、元金は戻ってくるという意味で、主人に損はさせなかったとも言えます。彼は、負債者達に恩を売ることによって、今後の生活のための備えをしました。これが「抜け目のないやり方」です。主人は管理人の不正行為そのものではなく、生きるための必死さをほめたのです。
「不正にまみれた富」(9)とは、あくどい仕方で得た富ということではなく「本当に価値あるもの」(11)に対照させたこの世の富のことです。では、このたとえは弟子たちに何を語っているのでしょうか。この世の人々でさえ、生き延びるために必死になる。ましてや、弟子たちは、「永遠の住まいに迎え入れてもらえる」(9)ために、この世で与えられた富を用いて、神に対して必死に生きるのだということです。
富(才能・時間も)は神から託されたものであって、本当の所有者の意志に従って用いなければなりません。富は大事ですが、私たちは、富のために生きるのではなく、神のために生きるのです(13)。神のために生きる生活の中で、富を正しく管理できるのです。
最後に箴言の言葉を引用します。
「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。
①むなしいもの、偽りの言葉をわたしから遠ざけてください。
②貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。
飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません」(箴言30:7-9)。
私たちは、この世の富を最後の価値として生きていきますか。それとも、「本当に価値あるもの」を求めて生きていきますか。神に正しく仕えるため、富に使われることのないよう気をつけねばなりません。
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前 奏 - ただ汝のみ、主イエス・キリストよ - J.パッヘルベル
招 詞 詩編 第96編1-2節
賛 美 21-51 愛するイェスよ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第103編1-13節
賛 美 - 主はわたしの歌 - 聖 歌 隊
成人祝福式
分かち合い
賛 美 21-224 われらの神 くすしき主よ
聖 書 ルカによる福音書 第16章1-13節 (新共同訳新約 140頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「抜け目のない生き方」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-520 真実に清く生きたい
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-187(アーメン) よろこびの歌で
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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