主日礼拝(講壇交換)
2月17日 午前10時30分より
メッセージ:「主は、わたしの牧者。」
聖書:詩編23編
説教者:田所賢二牧師(松本バプテスト教会)
主なる神はわたしの羊飼い、つまり牧者であり、自分は一匹の羊であると言います。この詩の特徴は、神と私という個人的なことが強調されている事です。イスラエルでは、羊飼いと羊は、主なる神とイスラエルの民との関係を言い表し、農夫とぶどうの木と対(つい)で語れられてきました。神は農夫、イスラエルの民はぶどうの木になぞられました。新約に入ると、イエス様と私たち一人一人との関係が、羊飼いと羊、ぶどうの木とその枝という関係でとらえられています。
この詩はこの詩人と神との深い交わり、信頼関係について、彼の人生は充実感が溢れています。しかし、この詩人は決して人生の平坦な道を歩んできた人ではありません。この詩は農耕民族の私達には牧歌的に聞こえるかも知れません。遊牧生活を生きる厳しさ、過酷さの、まさに暗黒の<死の影の谷>を行く辛酸を舐めた、恐ろしい経験。そこで初めて、神が見放すことも、見捨てることも無く、彼を豊かな水の流れ、緑の野に導かれたのです。そのことをしみじみと思い返し、常に主なる神が共におられ、励まし、護り、導かれた経験を語り、これからの未来においても神の導きを信じて疑わないのです。厳しい環境で人は“人間”を強く意識するのです。旅の途上、強盗に襲われた時、人の愛が身に沁みます。思いがけない厚情を受けテントに逃げ込んで、誰とも知らない者を敵の手から守ってくれ高価な油を注ぎ、葡萄酒を飽きるほど飲ませる最高のもてなしを受けるのです。
詩編と新約聖書とを比べてみると、新約は言うまでもなくイエス・キリストが良き羊飼いと言われます。彼は羊の為に命を捨てるのです(ヨハネ10:11)。パウロは、外的な危機や困難だけではなく内面の罪との戦いにおいても神は尚、私の味方、わたしを愛して御子をさえ惜しまず、十字架を通して私を義としてくださったのだから、どんなものも、わたしをイエス・キリストにある神の愛から引き離すことはできないと言っています(ローマ8:31~)。
キリスト教会は2千年の間この詩を愛読してきました。しかも、これをイエス・キリストを通して愛読して来たのです。主とはイエス・キリストです。主イエス・キリストがわたしの羊飼い、わたしの牧者です。アーメン
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前 奏 - 主の招く声が - 蒔田尚昊
招 詞 ヨハネによる福音書 第10章11節
賛 美 21-205 今日は光が
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第139編
賛 美 - 主はあなたを恵みて - ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 21-364(1,2,3,6節) いのちと愛に満つ
聖 書 詩編 第23編 (新共同訳旧約 854頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「主は、わたしの牧者。」 田所 賢二 牧師
祈 祷
賛 美 21-493 いつくしみ深い
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-27(アーメン) 父・子・聖霊の
祝 祷 田所 賢二 牧師
後 奏