主日礼拝(受難節第4主日)
3月31日 午前10時30分より
メッセージ:「史上最大の冤罪」
聖書:ルカによる福音書23章1-25節
説教者:小野慈美牧師
きょうの聖書個所には、ユダヤ人、ピラト、ヘロデの三者の罪が示されています。
①ユダヤ人の罪「ねたみ」:マタイ27:18には「(ピラトは)人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていた」とあります。真実に生きている人がその真実さのゆえにねたまれることがあります。真実に生きているから人々から慕われるのに、そのことをねたましく思うことがあるのです。その人の真実さが、自分の不真実を照らし出すので、煙たい存在になります。そして、ねたみが高じると、ねたみの対象である相手を排除しようとするのです。
②ピラトの罪「損得」:ピラトはイエスの無罪を知っていたので、三度も群衆を説得しようとしました。明らかな反逆者のバラバを解放することのほうが、自分の総督としての立場を危うくすると考えたからなのかもしれません。しかし、群衆があまりにも騒ぎ立て、イエスを赦したら暴動にもなりかねない空気を感じて、バラバを解放することにしたのです。自分が損してまで真実を大事にし、イエスを守ろうなどとはしませんでした。あくまでも自分の得になることを最優先しようとしたのです。
③ヘロデの罪「侮辱」(他者に対する敬意を欠いた態度):他者をおとしめて優越感を味わいたいという思いに駆られることがあります。相手の欠点を暴いては、非難する、あるいは影口を言う。そのとき、実は私たちは主イエスを傷つけているのです。主イエスがもたらそうとされた愛を壊しているからです。
これら三者の罪が合わさって、無罪の主イエスが有罪とされ、明らかに有罪であるバラバが無罪とされました。史上最大の冤罪がここに起こりました。そして、三者と同じような罪をわたしたちも日々犯しているのではないでしょうか。これらの罪の集合が「十字架につけろ」(21)という大合唱になりました。だから、その群衆の中に私たちもいるのです。そうであれば、神の前で私たちも裁かれねばなりません。その意味では私たちはバラバの立場に置かれるのです。
しかし、バラバが受けるべき裁きを主イエスが代わって受けてくださいました。バラバはそんなことが起こっているとは全く知らないうちに赦されていました。私たちも、そんなことが起こっていたなど全く知らないうちに、十字架で既に救いの業が行われていたのです。主イエスの冤罪は私のためでした。
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前 奏 - 罪なき小羊 - M.レーガー
招 詞 イザヤ書 第63章7-8節
賛 美 21-298 ああ主は誰がため
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第30編
賛 美 - イエス、イエス - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-296(1,3,4節) いのちのいのちよ
聖 書 ルカによる福音書 第23章1-25節 (新共同訳新約 157頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「史上最大の冤罪」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-304 茨の冠を主にかぶせて
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-28 み栄あれや
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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