主日礼拝
5月12日 午前10時30分より
メッセージ:「祝福された者として」
聖書:ルカによる福音書24章44-53節
説教者:小野慈美牧師
主イエスが天に昇る前に、最後に弟子たちになさった三つのことが記されています。
Ⅰ)心の目を開いて聖書を悟らせた:(「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」45)
十字架と復活については、旧約聖書(「モーセの律法と預言者の書と詩編」44)に示されていたのですが、目が開かれないと、わからないのです。十字架と復活が、人類一般のためではなく、他ならぬこの私のためであったと分かるようになることが、心の目が開かれるということです。そのことは、聖霊の働きによって可能となります。私たちは毎週の礼拝の中で、心の目が開かれる経験をし、聖霊によって強められる経験をするのです(49)。
Ⅱ)祝福なさった:(「(イエスは)祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」51)。
「祝福」と訳されている言葉は、ギリシャ語では「良い言葉」という意味です。主は弟子たちに良い言葉を語られました。つまり弟子たちを良しと言ってくださり、この世界に遣わしてくださいました。私たちもまた、良い言葉を語る者として遣わされるのです。私たちは、人々に「主があなたの罪を赦してくださった。主がどんなときにもあなたと共におられる。あなたは神に赦され、愛されています」という「福音」(良い知らせ)「良い言葉」を宣べ伝えていくのです。
Ⅲ)信仰共同体の基礎を作られた:(「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」52-53)。
キリスト教の信仰は、単に個人的なものではありません。与えられたものを他者と分かち合い生かされていることを共に喜ぶのです。そのために共同体、仲間が必要です。群れの中で自分も支えられ、自分も他の仲間の支えになるのです。教会は「キリストの体」(エフェソ1:23)です。この場合の教会とは、建物ではなく信じる者の群れです。この信じる群れが、今も生きておられるキリストの「体」なのです。
そして、信じる者の群れのしるしは「喜び」と「賛美」です。喜びは、うれしさとは違い、悲しみと同居できます。悲しみの中でも、神が共におられ、支え慰めてくださることを知る喜びです。教会はその喜びの源である神を賛美します。私たちも今、神様の祝福、良い言葉をいただいて、ここから出ていきます。それは、神様からいただいた祝福、良い言葉を、他の人々に伝えるためです
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前 奏 - 輝きのこの日 - J.S.バッハ
招 詞 詩編 第78編1-4節
賛 美 21-361 この世はみな
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第16編
賛 美 - 喜びをもって主につかえよ - 小山章三 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-319(1,2,5節)輝きのこの日
聖 書 ルカによる福音書 第24章44-53節 (新共同訳新約 161頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「祝福された者として」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-92 主よ、私たちの主よ
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-29(アーメン) 天のみ民も
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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