主日礼拝
7月14日 午前10時30分より
メッセージ:「あなたは良い僕です」
聖書:ルカによる福音書19章11-27節
説教者:小野慈美牧師
人々は、かつてのダビデ王国のような神の国が実現することを願っていました。イエスが力あるわざをするのを見てその時が来たと胸を膨らませたのです。イエスが今エルサレムに入り、そこで王となってくださるという期待から、「神の国はすぐにも現れると思っていた」(11)のです。その彼らにたとえが語られました。
「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立」(12)ちました。そのとき、十人の僕に、ひとり1ムナずつ渡して、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」と命じました。しかし、「我々はこの人を王にいだきたくない」(14)という人々がたくさんいました。この空気の中で、主人から預かった1ムナを用いて事業をすることは、主人に対する忠誠を鮮明にすることであり、勇気のいることでした。
15-22節に三人のしもべの対応が記されています。二人は忠実に働きましたが、三人目の僕は、何もしませんでした。主人が王の位を受けることができなかった場合、他の誰かが王位につく。そのときのために、主人の名前で事業をせず銀行に預けることもしないでおけば、1ムナは名前の書いてない1ムナとして残しておくことができると考えたのです。
これは教会に対するチャレンジでもあります。主イエスは、復活した後再び戻ってくるという約束をなさって天に昇られました。そして、現在の教会は、僕たちが主人の帰りを待っている状態に置かれています。主人の留守中に自分が主イエスの僕であることを明らかにし続けることはリスクと犠牲を伴います。
たとえは「わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ」(27)で終わっています。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言われた方の言葉としては違和感を覚えます。ただし、たとえの中では、これは命令で終わっていて、執行されたとは書いてありません。
いったいどうなったのでしょう。結論はたとえの中には示されておらず、たとえを語られた主イエスの現実の歩みによって示されています。この直後、主イエスはエルサレムに入ります。そして、このたとえの語り手自身が、まさに「人々の前に引き出され、人々の目の前で打ち殺されたのです。」この十字架の結末を知った私たちは、改めて僕として悔い改めと感謝に生きるのです。主イエスの心と相いれない価値観の渦巻くこの世界で、主イエスのまなざしを覚え、その心を大切にしようとして生きるとき、あなたは良い僕です。
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前 奏 - 来たれ、創造主なる神よ、聖霊よ - J.G.ヴァルター
招 詞 フィリピの信徒への手紙 第4章4-7節
賛 美 351(1,3,4節) 聖なる聖なる
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第13編
賛 美 - わたしはぶどうの木 - アイオナ 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 425(1,3,5,6節) こすずめも、くじらも
聖 書 ルカによる福音書 第19章11-27節 (新共同訳新約 146頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「あなたは良い僕です」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 516(1,3,5節) 主の招く声が
献 金
感謝祈祷
賛 美 29(アーメン) 天のみ民も
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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