年
主日礼拝
9月1日 午前10時30分より
メッセージ:「あなたにも1デナリオン」
聖書:マタイによる福音書20章1-16節
説教者:小野慈美牧師
たとえ話は、この世界のことがらを材料として用いながら、「神の国」つまり神様のお考えがたとえられています。したがって、この世界ではありえない非現実的な要素が含まれています。
このたとえでは賃金の支払い方法がそれです。夕方の5時から働き始めた者から支払いが始まり、どの労働者にも1デナリオンが支払われました。朝6時から働いていた者たちは、「もっと多くもらえるだろうと思っていた」(10)のに、同じく1デナリオンだったので、主人に抗議しました。賃金を「労働に対する報酬」という前提に立てば、彼らの不満は当然であり、主人のやり方は間違っています。
しかし、このたとえは、この世界の賃金支払い方法のモデルを示しているのではありません。たとえにおける1デナリオンは労働に対する報酬ではなく、あくまでも恵みのしるしです。神の恵みは、人間の働きとは無関係なのだという前提に立てば、この支払い方法は間違っていないのです。
そして十字架においてこのたとえは現実となりました。まさに神が独り子の命という最大の犠牲を払ってまで人間を救おうとされた神の恵みのしるしが十字架です。午後5時どころか、日没になってぶどう園にやってきたような犯罪人に対しても、主イエスは「あなたはきょうわたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)と、1デナリオンを約束されたのです。恵みが恵みであるゆえんがここにあります。もっともらえるはずだ、あるいは逆に、自分はもらえる資格がないという判断は、どちらも恵みの意味を理解していません。1デナリオンは、神の恵みをいただくには程遠いと思われる者に対しても恵みを与えようとする神様の「気前の良さ」(15)です。
もちろん私たちは、自分に与えられた時間や賜物を与えられた状況に応じて一生懸命用いる責任があります。しかし、それは自分の働きによって、神の恵みを獲得するためではありません。そうではなくて、すでに愛してくださっている神に対する感謝の応答として、真実に生きるのです。
「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(16)の「先にいる者」とは、時間的な「先」ではなく、「1デナリオンをもらう優先順位が先だと思っている者」の意味です。1デナリオンは神の恵みであるのに、自分の功績に対する評価や見返りだと考えるとき、恵みが恵みでなくなり、恵みをいただくという喜びにおいて「後になる」のです。
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前 奏 - いと高きところには神にのみ栄光あれ - G.ベーム
招 詞 詩編 117編
賛 美 56 主よ、いのちのパンをさき
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第150編
賛 美 - キリストの前に - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 543 キリストの前に
聖 書 マタイによる福音書 第20章1-16節 (新共同訳新約 38頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「あなたにも1デナリオン」 小野 慈美 牧師
祈 祷
*賛 美 432 重荷を負う者
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 78(1,2節) わが主よ、ここに集い
聖書朗読と感謝祈祷
賛 美 25 父・子・聖霊に
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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