年
10月6日 午前10時30分より
メッセージ:「聞け!」
聖書:申命記 第6章1-15節
説教者:小野 慈美
①「唯一の主である」(4)
聖書の神だけが唯一絶対だと客観的に証明することはできません。どの宗教であれそれは同じです。
信仰とは、いろいろな神様を比較検討した上で選ぶというのではありません。不思議な導きで出会いを与えられるのです。ただし、それは決定的な出会いとなり、全幅の信頼を置いて従うのです。
②「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(5)
神を愛するとは感情の事柄ではなく、忠実(3)であるということです。「熱情の神」(15)は、聖書協会共同訳では「ねたむ神」と訳されています。私たちは、与えられている恵みを忘れて、自分勝手な願望を神に押し付け、それがかなわないと言って不平を言っていることはないでしょうか。私たちにとって、何が良いかを知っておられる神を信頼せずに、自分の願望をかなえてくれるものを求める。形の上ではキリスト者であっても、心が他のモノやことがらに支配されているのであれば、神をねたむほどに悲しませるのです。神がねたむということは、むしろ神の愛がいかに大きいかの裏返しです。
③こどもたちへ繰り返し教え(7)親が繰り返し聞かせる
バプテスト教会では、本人の自覚の無い状態での幼児(嬰児)洗礼はしていません。個人の意思を尊重し自分で判断できるようになって、自分の意志で信仰を言い表すことを大切にします。しかし、それは、親として何もかかわらず、放っておくということではありません。神は命じておられます。
「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」(6-7)。
また、子どもが親の信仰を問うことがあれば、その理由も語りなさい(20-24)と命じます。具体的には神の恵みを語ることです。「エジプトを出ることは決してらくちんなことばかりではなかった。何度も危機に遭遇した。しかし、我らの主は救い導き出してくださった」と。ここに示されているのは、神への感謝です。感謝して生きるということが、子どもたちや接する人々に信仰を伝えるための最も良い方法です。「聞け」と言われる主に聞き従うことが、結局は最善の生き方です。
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前 奏 - いかに幸いな人 - 志村拓生
招 詞 ローマの信徒への手紙 12章1節
賛 美 51 愛するイェスよ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第1編
賛 美 - いかに幸いな人 - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 113 いかに幸いな人
聖 書 申命記 第6章1-15節
祈 祷
黙 想
説 教 「聞け!」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 475(1,2,4節) あめなるよろこび
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 72(1,2,3節) まごころもて
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 24(アーメン) たたえよ、主の民
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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