年
10月13日 午前10時30分より
メッセージ:「わたしの祈り」
聖書:フィリピの信徒への手紙2章12-18節
説教者:長谷川 温雄師
<神学校を覚える日>
日本バプテスト同盟では、10月第2主日を「神学校を覚える日」としています。神学校の働きと学生・教職員を覚え、また全国各地の協力団体を覚え、祈りを合わせましょう。
「祈りについて」ではなく「私の祈り」を語らせて頂きます。召天された小野一良牧師(小野慈美牧師のお父様)の説教に「祈りは地上最大の力」があります。先生が祈られたままを書いておられます。わたしも、キリストの道を行く者として、その日その時の祈りを振り返ってみようと思います。
まず捜真教会とのつながりでありますが、わたしの義兄、横浜バプテスト教会の会員との出会いがあります。すでに亡くなっていますが、姉の嫁ぎ先で、クリスマスには家によく招かれました。その後、捜真教会に沢野和義さんといわれる方がいらして紹介されました。先年亡くなられた沢野芳久牧師のお父様です。こうしてわたしの中学生時代の通学路に捜真女学校がありましたので、祈りの道だったのです。戦火に会う前にあったチャペルの角を曲がり、いまの教会の前を通って三ツ沢に出ていたのです。12歳のころだったと思います。フォーサイスは「祈らないのは罪だといいますが、」戦中の希望は祈りに始まったのです。
新子安にあった昭和電工に学徒動員されていましたが、機銃掃射を受けて、一命をとりとめたり、女学校の前の斜面に撃墜されたB29の搭乗員の死に遭った日のことを覚えています。これらは教会に通うようになる前の事柄ですが、こうした中学生の日を経て、東南アジアへ思いを馳せ、償いを祈る者となりました。しかし「人に人の痛みが癒やせるか」という、思いに悩んだ時、同盟総会に出席して、人びとにわたしの心の内を語りました。個人の祈りでなく教会の祈りとならないだろうか、しかしある人は、“Missionary era
was over”「宣教師の時代はもう過ぎた」と言われもしました。席上の賛成を得て1969年12月に家族と共に日本を発って、インドのネクルシニに出発しました。今日読んでいただいた聖書の言葉がわたしたちの祈りを支えたのです。この病院はアメリカン・バプテスト婦人部の祈りによって建てたものです。いまは病院の機能を終えていますが、わたしの祈りは神のみ心がなることです。イザヤ書55章8節にあるように、(「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なりわたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。」)人間の思いをはるかに超えた人間の思いではなく神の計画がなるように祈っています。
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前 奏
招 詞 イザヤ書41章10節
賛 美 352
主の祈り
交 読 文 交読詩編5編1-13
賛 美 - イエスこそひつじかい - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 113
聖 書 フィリピの信徒への手紙2章12-18節 (新共同訳旧約 363頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「わたしの祈り」 長谷川 温雄師
祈 祷
賛 美 すべてのことが
献 金
感謝祈祷
賛 美 28
祝 祷 長谷川 温雄 師
後 奏
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