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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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礼拝Worship

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2020/1/19の礼拝


1月19日 午前10時30分より
メッセージ:「権威と権力」 
聖書:ルカによる福音書19章45節-20章8節
説教者:小野慈美牧師

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 神殿は、神を礼拝するところ、神を畏れることを学ぶところです。ところが、主イエスが神殿で見たものは、神を畏れることを忘れた姿でした。マルコ11:15によれば、「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台、鳩を売る者の腰掛けをひっくり返され」ました。
 主イエスのこの行動は、祭司長、律法学者たちにとっては、腹立たしいことでした。自分たちの立場を脅かすからです。彼らはこの世の権威を持っていました。それに対して、主イエスは、この世の形式的な権威は何も持っておられませんでした。そこで、彼らは主イエスの立場を悪くしようとして、「何の権威で」こういうことをするのかと問いました(20:2)。それに対して、主イエスも一つの問いをもって尋ね返しました。バプテスマのヨハネは、神からの権威によってバプテスマを授けていたのか、それとも自分勝手にやっていたのか。彼らは答えられませんでした。彼らはヨハネの権威を認めなかったのですが、「人々がヨハネを預言者だと信じ込んで」いたので、人々の反発を恐れて、はっきり言うことができなかったのです。
 ヨハネの権威もイ主エスの権威も見える権威ではなく、神に由来する真実という権威でした。この権威は、権力者にとっては、しばしば不都合です。なぜなら、自分たちが、見える権威を使って不真実なことをしていることを暴くからです。主イエスの真実の権威が目障りであるために、彼らは、見える権威に付与されている権力(上から下に強制的に従わせようとする力)を使って、押さえつけようとしたのです。
 見かけはどうであれ、神からの権威であるのならば、その前にひざまずく勇気をもちたいものです。この世の権威に弱い者は、何の権威もないと見える相手に対して、横柄になりがちです。しかし、この世的に権威のない者からの問いかけは、神様からのチャレンジであるのかもしれないのです。その背後に神様の真実という権威を見て取ることが求められているのかもしれません。
 本当の意味で権威ある主イエスが、私たちのためにひざをかがめてくださいました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6-8)。キリスト者は、このお方に倣う者です。神の真実に対して謙虚であるのか、それとも立場上の優位さという権力を用いて、相手を押さえようとするのかが問われています。

前   奏    - わたしの愛する神に - J.L.クレプス
招   詞    イザヤ書 第46章9-10節
賛   美    59(1,3,5節) この地を造られた
主の祈り   
交 読 文    交読詩編 第119編9-16節(ベト)
賛   美    - 一つのことば胸にひびけば -       ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛   美    14 たたえよ、王なるわれらの神を
聖   書    ルカによる福音書 第19章45-20章8節(新共同訳新約 148頁)
祈   祷
黙   想
説   教    「権威と権力」               小野 慈美 牧師
祈   祷
賛   美    469 (1,3,5節) 善き力にわれかこまれ
献   金
感謝祈祷
賛   美    24(アーメン) たたえよ、主の民
祝   祷                          小野 慈美 牧師
後   奏

礼拝堂正面のイエス様Soshin Baptist Church捜真バプテスト教会

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