2月16日 午前10時30分より
メッセージ:「死んだ者の神ではなく」
聖書:ルカによる福音書20章27節-44節
説教者:小野慈美牧師
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サドカイ派はモーセ五書だけを聖書と認め、そこには復活についての教えはないので、復活を否定していました。そこで、イエスを陥れるために申命記25:5-10を背景とした質問をしました。「兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いではならない。亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない」(申命記25:5-6)。彼らは、復活信仰の矛盾を示そうとして「七人兄弟の長男が死に、その妻をめとった弟たちも次々に子がないまま死んだら、復活後、妻は誰の妻になるのか」と問いました。主イエスは彼らの前提を覆す考えを示されました。
①死後の命は地上の命の延長ではない。「天使のようになる」とは、復活の命は、全く新しい命で、地上の存在の在り方の延長ではない。復活した者は「めとることも嫁ぐこともない」(35)のだ。復活の様子を、現在の人間の現実の枠の中で理解しようとする問いそのものが間違っているのだと言われました。
②復活は単に死んだ後の命ではなく、生死を越えた神との交わりだ。21:37は、サドカイ派が拠り所としているモーセ五書の一節「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(出エジプト3:6)を引用しています。「私はアブラハムの神だった」と過去形ではなく、「である」と現在形で述べています。「アブラハムは今も私との交わりの中にいる」ということです。それはまた、今あなたに対しても「わたしはあなたの神である」と言っておられることでもあります。生死を越えて、神との交わりに生きること、これが復活の命、永遠の命です。永遠なる神が愛し続けてくださるから、愛の対象である私たちも永遠に生きるのです。神様との交わりは肉体の死によって失われることはないのです。その確信の根拠はイエス・キリストの十字架です。
私たちが地上の命を終えて神の前に立つときイエス様から紹介状をいただきます。その紹介状には、こう書いてあります。「私イエス・キリストは、この者の罪のために十字架にかかりました」。生きている今も、死においても主が執り成してくださる。だから、「どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8:39)。
(41-44は、イエス様がメシアであることは、「ダビデの子」つまりダビデの家系から生まれる人間の王様以上の存在であるとの宣言です。「主は、わたしの主にお告げになった」(42)の、最初の「主」は父なる神のこと、「わたしの主」の「わたし」はダビデであり、「わたしの主」とはメシアのこと。ダビデ自身がメシアを「わたしの主」と呼んでいる。だから、私には、これらのことを語る権威があるのだと宣言しておられます。)
前 奏 - 愛するイエスよ、われらはここに集いて - J.S.バッハ
招 詞 ヨハネによる福音書 第11章25-26節
賛 美 11 感謝にみちて
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第119編105-112(ヌン)
賛 美 - わたしが歩む道を - ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 290(1,2,4,5節) おどり出る姿で
聖 書 ルカによる福音書 第20章27-44節 (新共同訳新約 150頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「死んだ者の神ではなく」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 580(1,3,4節) 新しい天と地を見たとき
献 金
感謝祈祷
賛 美 神はあなたと共にいる
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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