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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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礼拝Worship

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2020/3/22の礼拝


3月22日 午前10時30分より
メッセージ:「偉大さはつかえること」 
聖書:ルカによる福音書22章24節-30節
説教者:小野慈美牧師

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 弟子の中では絶えず序列争いがあったようで、最後の晩餐の席でも、「自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか」(24)という議論をしていました。それに対し主イエスは、「いちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」(26)と言われました。弟子たちは、「偉さ」を序列において上に立つことだと捉えていましたが、主イエスは、神が求める「偉さ」とは何かを示されました。
1)偉さとは、神の前で自分の小ささを知ること:他の聖書個所で「だれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」(マタイ18:1)という弟子の問いに対し、主イエスは、「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」(マタイ18:4)と答えられました。天の国で偉い、とは、神様の価値観における偉さであり、それは子どものようになることだというのです。こどもは、大人に対して自分のほうが偉いなどと思ってはいません。そのように神の前では自分は何者でもないこと、自分の小ささを知ることこそが真の偉さなのです。
2)しかし、私たちは既に偉い者とされている:本当の意味でへりくだることができたのは、主イエスだけです。「キリストは、神の身分でありながら、…かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリピ2:6-7)。神の前で何者でもない私たちに、神である主イエスが仕えてくださり、それ故に、私たちは小さい者でありながら、偉い者とされているのです。主イエスによって偉い者とされているという誇りがあれば、人間の序列の中で偉くなろうとする必要はなくなります。
3)仕えることは使うこと:持っているものは、すべて神から与えられたものです。仕えるとは、単に腰を低くすることではなく、持っているものを神と人のために使うことです。そして、より多く持っている人は、それを神と人のために使う責任と使命がより多くあるということです。才能・財産などの持ち物、高い地位・力ある立場も、他者を支配するためではなく、神様の御心に従って神と人のために正しく使うためにあるのです。
 28-30節は、主イエスの預言ともいえる言葉です。「イスラエルの十二部族を治める」(30)とは、「新しいイスラエル」である教会の指導者となることを示唆しています。最後の晩餐の時点では、まことに情けない弟子たちでした。しかし、主イエスは、仕えるに値しないと思われる弟子たちに仕え十字架で死なれました。主イエスの十字架の愛と復活の命が弟子たちを作り変え、教会の指導者としたのです。同じ愛と命が私たちを生かします。

前   奏    - 罪なき小羊 - M.レーガー
招   詞    イザヤ書 第41章10節
賛   美    18(1,2節) 「心を高くあげよ!」
主の祈り   
賛   美    - 父の涙 -                  聖 歌 隊
分かち合い
聖   書    ルカによる福音書 第22章24-30節  (新共同訳新約 154頁)
祈   祷
黙   想
説   教    「偉大さは仕える」             小野 慈美 牧師
祈   祷
賛   美    513(1,3節) 主は命を
献   金    (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
賛   美    29 天のみ民も
祝   祷                          小野 慈美 牧師
後   奏

礼拝堂正面のイエス様Soshin Baptist Church捜真バプテスト教会

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