4月26日 午前10時30分より
メッセージ:「人のではなく神の意志」
聖書:マタイによる福音書6章10節b,c
説教者:浅輪一郎神学生
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今日の聖書箇所「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」における「御心」とは、ギリシャ語を直訳しますと「神の意志」となります。そしてヘブライ語でも調べてみますと、「神の意志」における「意志」に相当する「ラツォーン」というヘブライ語の言葉には「意志」以外に、含蓄のある意味があることが分かります。
1)ラツォーン:思いのまま
旧約聖書で、このラツォーンは「人」の意志として使われますと、あまり良い意味では用いられていないようです(ネヘミヤ9:24、ダニエル11:3;8:4)。
2)ラツォーン:受け入れる
出エジプト記には、神は十戒をモーセに授けたあと、捧げ物をするための具体的な指示を出されたのですが、それらを守ることによって、イスラエルの民は神から「受け入れられる」と書かれています。レビ記にはさらに詳細に捧げ物のささげ方に関する詳細な指示が書かれていますが(レビ19:5-8)、特に22:20「あなたたちは傷のあるものをささげてはならない。それは主に受け入れられないからである」は、その後のイエス様を暗示させる言葉として、私は注目しました。
3)ラツォーン:喜び
箴言にはラツォーンが「喜び」として訳されている箇所が沢山あります(8:35、15:8、聖書協会共同訳)。
今日の招きの言葉も聖書協会共同訳で見てみますと、このように訳されています。「無知な者は償いの生贄をあざける。正しい人々の間には喜びがある。」(箴言14:9)。
さらに、「御心が行われますように」との祈りを、再びギリシャ語でも見てみますと、この言葉はイエス様が十字架につく前に祈られた「ゲッセマネの祈り」の中で祈られた言葉と全く同じであることが分かります。ゲッセマネの祈りにおいて、イエス様の人としての願い、または意志は、神の意志と衝突するのですが、ついにイエス様は神の意志を受け入れることを決意されました。そして、その「神の意志」こそが、不完全な私たちの罪を、贖うことにありました。
出エジプト以来、律法に従い繰り返し捧げ物をささげてきた行為は、イエス様の十字架によってここに完結するのです。しかし、神の意志とはイエス様を思うだけにとどまりません。イエス様を信じる全ての者にも及ぶのです(ヨハネによる福音書6:38―40、17:3)。
私たちが教会や神学校から「受け入れ」られ、そして「喜び」が与えられている根拠は、イエス様が「傷のない供え物」として十字架にかかって下さったことあります。その喜びが場所を越えて尚ももたらされますように、神の意志が行われますように、私たちはこれからも祈り続けたいと思います。
前 奏 - 喜び祝え、わが心よ - Satkz
招 詞 箴言 第14章9節
賛 美 323(1,4,5節) 喜び祝え、わが心よ
主の祈り (週報の最終頁をご参照ください)
聖 書 マタイによる福音書 第6章10節bc (新共同訳 新約 9頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「人のではなく神の意志」 浅輪 一郎 神学生
祈 祷
賛 美 196(1,2,4節) 主のうちにこそ
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 2020年主題讃美歌 神はあなたと共にいる (歌詞が開きます)
終 祷 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共 にあるように」
(Ⅱコリント13:13)
分かち合い
後 奏
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