5月3日 午前10時30分より
メッセージ:「聖なる息を受けなさい」
聖書:ヨハネによる福音書20章21-22節
説教者:浅輪一郎神学生
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「聖なる霊」又は「聖なる息」とは何なのかについて、聖書が語る二つの「創造」と関連させながら考えたいと思います。
1)まず、「息」という言葉に触れますと、創世記における創造物語を思い出される方も多いかもしれません。事実、この「息」という言葉と「創造物語」との強い関連性は七十人訳聖書で出てきますギリシャ語の「息を吹きかける」=「エムフュサオ―」という動詞に注目しても確認ができます(創2:7)。「エムフュサオ―」が使われている創世記2章7節には、人間の最初の創造には神の命の息が吹き込まれて初めて「生きる者となった」ということが書かれています。
2)しかし、その後、人間は神の意志から離れる過ちを繰り返します。その流れの中でイエス様は十字架につけられます。しかし、復活のイエス様が弟子たちに現れ、最初になされた事が「エムフュサオ―」=「息を吹きかける」(ヨハネ20:21,22)という行為でした。つまり、かつて神が人を創造された時、命の息を吹き込んで下さって、そこで初めて人が「生きる者」となったように、今度は、復活されたイエス様が弟子たちに新しい命の息を吹き込んで下さったので、弟子たちは新たに「生きる者」となったのです。そして、この「第二の創造」とも言える出来事は、後に続く全てのキリスト者にもその業が及びます(ヨハネ1:33,34, テト3:5,6)。
また「プニューマ」=霊、息、風と訳される言葉に注目してみますと、唯一「息」と訳されている箇所は、イエス様のこの地上の活動における最後の出来事、十字架上の出来事であることが分かります(ヨハネ19:30)。イエス様が引き取られた「プニューマ」とは、「息」であり、「霊」であったのです。しかし、そのイエス様が引き取られた霊は、つまり、「イエス様の命」は、今度は弟子たちが、そして私たちが受け取るのです。(ヨハネ14:17,14:26)
事実、今日の聖書箇所は、ヨハネによる福音書における「ペンテコステ」とも呼ばれています。復活したイエス様が弟子たちと出会った場所で聖霊の降誕が起こり、弟子たちをそして私たちを宣教の業へと導かれるからです。とはいえ、出掛けて行って初めて意味があるという訳では決してありません。何故ならば、現在のように自宅にいなければならない時にも、インターネットを通して御言葉に耳を傾けている中に、聖霊は既に注がれ、聖なる息は吹きかけられているからです。
「わたしがあなたがたに話した言葉は、霊であり、命である。」(ヨハネ6:63)「聖なる霊」又は「聖なる息」とは、イエス様が話された「言葉」であり、イエス様の「命」そのものであります。私たちはそのイエス様の「命」を、礼拝を通して、そして聖書を通して頂いているのです。
前 奏 - 目覚めよ、歌えよ - 北澤憩
招 詞 創世記第2章7節
賛 美 211 あさかぜしずかに吹きて
主の祈り
聖 書 ヨハネによる福音書 第20章21-22節 (新共同訳新約 210頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「聖なる息を受けなさい」 浅輪 一郎 神学生
祈 祷
賛 美 475 あめなる喜び
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 88 心に愛を
終 祷 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共 にあるように」
(Ⅱコリント13:13)
後 奏
分かち合い
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