5月24日 午前10時30分より
メッセージ:「天からの源泉かけ流し」
聖書:ヨハネによる福音書4章7-21a節
説教者:小野慈美牧師
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ユダヤ人とサマリア人は、もともとは同じ民族でしたが、歴史的宗教的事情から、反目していました。
あるとき主イエスの一行が、サマリアの地を通ることになりました。人目を避けて水を汲みに来たサマリア人の女性に主イエスは「水を飲ませてください」と声をかけました。二人は水についてやりとりをしたのですが、唐突にも主イエスは言われました。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」。彼女は、「わたしには夫はいません」(17)と答えました。ところが、驚くべき言葉が、主イエスの口から出ました。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」ここで二人の会話は彼女の深い渇きのレベルに入ります。
彼女が離婚と再婚を繰り返したことの理由はおそらく不妊症でした。この時代には、こどもが生まれないのは女性の責任と考えられ、離婚の正当な理由とされました。子どもができないから、彼女は女性としての価値を感じられない。そこで、離婚をされると、すがるようにして他の男性を求め再婚するということを繰り返したのではないか。しかしもう母となる可能性はなくなり、残りの人生に何の希望も持てないでいた。主イエスは彼女の現実をずばり言い当てました。女性は畏れを覚えて言いました。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします」(19)。主イエスが礼拝について語ったあと、女性は続けます。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています」(25)。イエスは言われた。「それは、…わたしである」(26)。私がそのメシアだと宣言しているのです。
この後、女性は、驚くべき行動に出ます。水瓶を置いたまま、会いたくなかった人々に会いに行きました。彼女を動かしたのは「喜び」です。このお方は自分の過去と現在をすべて知っておられながら、自分を一人の尊い人間として扱ってくださった。子どもが無くても、生きていていいんだ。私の人生も愛されていたんだ。もう世間からなんと言われようとかまわない。わたしのことを「よし」としてくださるメシアにお会いしたのだから。そのとき、彼女の心の中に、喜びが、命の水が沸き始めたのです。彼女は、あふれる思いをこらえきれず、走って町に行き人々に告げたのです。「この方がメシアかもしれません」(29)。
人はそれぞれ、他人に知られたくない過去や見せたくない弱さ、みじめさを抱えています。
主イエスは、そういう人に対しても、「行って、あなたの夫をここに呼んできなさい」と言われます。
この言葉は、隠しておきたいものを照らし出し心が痛みます。しかし、それは恵みでもあります。この言葉は罪を示すと同時に、その罪が赦されていることを伝える言葉なのです。サマリアの女性と語ったお方は、やがて十字架につきます。それは、この女性の罪を、そして、私たちの隠しておきたい罪を赦すためでした。「私があなたのメシアだ」と語られる主の前で、私たちは安心して主の恵みの湯舟につかることができるのです。
前 奏 - ガリラヤの風かおる丘で - 蒔田 尚昊
招 詞 イザヤ書 第45章22-23a節
賛 美 57(1,3,4)ガリラヤの風かおる丘で
主の祈り
聖 書 ヨハネによる福音書 第4章7-21a節(新共同訳新約 169頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「天からの源泉かけ流し」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 404 あまつましみず
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
謝祈祷
賛 美 90(1.4)主よ、来たり、祝したまえ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
分かち合い
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招詞:「地の果てのすべての人々よ/わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。
わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば/その言葉は
決して取り消されない。」(イザヤ45:22-23a)
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