10月18日 午前10時30分より
メッセージ:「国籍は天にあり」
聖書:フィリピの信徒への手紙3章20-21節
説教者:小野慈美牧師
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死んだらどうなるのかについて、どう信じるかによって、人の生き方が変わります。
本国、国籍を天に持つ者の生き方を一言で言うならば、「永遠へのあこがれ」を持って生きるということです。永遠へのあこがれを持つ者はどのような生き方をするのでしょうか。
1)真実を求めて生きる
天の国籍を信じなければ、結局はこの見る世界がすべてということになります。国籍を天に持つ者は、神が悲しまれることを悲しみ、神が喜ばれることを喜ぶ。しかし、悲しいかな、天に国籍を持つ者も、過ちを犯す。しかし、国籍が天にあることを知っている者は、罪に気づいたときに、悲しむのです。悲しむということは、自分の国籍が天にあることを忘れていないということです。だからこそ、赦しを求める。そして赦していただくのです。
2)地上の国家を相対化する
①相対化するということは、軽んずるということではありません。自分の国籍を大切にすると土同時に、他の国籍を持つ方たちに敬意を表するのです。その人の生まれによって差別をしないことです。「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28)
国籍を天に持つ者は、あらゆる差別、自分の中にも潜んでいる差別と闘うのです。
②地上の国家を相対化するということは、国家の政策を相対化することをも意味します。
国といっても、結局は、人間です。人間は不完全ですから、過ちを犯す。同じように、その人間たちが動かす国家も、国家として間違いを犯すことがある。天の国籍を持つ者は、祖国を愛するがゆえに、国の政策に対して時には異を唱えることもあるのだということです。
3)永遠の命を信じる
何歳であれ、身近な者を失う喪失感は大きいものです。しかし、特に、愛する者を若くして失うことは、とても辛いことです。このような悲しみは、人間的な慰めでは解決できない。だからこそ、永遠の命を信じるのです。きょう私たちが覚える召天者の方たちは、主イエスに覚えられ、永遠の御国において、場所を用意されているのです。永遠の命を信じるとき、地上の命の長い短いを超えて、神は一人一人の命を重んじてくださっていることを信じることができるのです。また、永遠の命を信じるということは、今、地上で生きている者にとっても大きな慰めです。「卑しい体」(3:21)とは、死すべき体、滅ぶべき体だということです。その卑しい体を「栄光の体」に変えてくださるのです。私たちはこの永遠へのあこがれが、不確かな願望ではなく、確かな希望であることを、聖霊の導きによって確信できるのです。信仰の先達たちは、この希望によって地上の命を生き、召されていきました。
前 奏 - 神の家族 - Satkz
招 詞 イザヤ書46章3-4節(下記)
賛 美 527(1,4) み神のみわざは
主の祈り
聖 書 フィリピの信徒への手紙3:20-21(聖書協会共同訳)
祈 祷
黙 想
説 教 「国籍は天にあり」 小野 慈美 牧師
祈 祷
召天者記念式
賛 美 385(3,4)花彩る春を
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 24 たたえよ主の民
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
分かち合い
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「わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ46:3-4)
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