1月10日 午前10時30分より
メッセージ:「苦しみに遭ったことは私に良いこと」
聖書:詩編119編65-72節
説教者:小野慈美牧師
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「苦しみに遭ったのは、私には良い事でした」(119:71)。苦しみが何であったのかは、わかりませんが、詩人はそれを「良い事でした」と言い切っています。苦しいのに、やせ我慢をして「苦しくない」と言っているのではないし、苦しみそのものを良いと言っているのでもありません。一般論として、「苦しみにも意味があるのだよ」というような言い方はすべきではありません。苦しみそれ自体は、喜ばしいものではないのです。しかし、自分の具体的なこの苦しみの経験について「私には」良いことだったと言っているのです。それは結果的に「あなた(神)の掟を学ぶ」ことができたからです。「掟」は、神の言葉の同義語として使われており、「掟を学ぶ」とは、「神の語りかけを聞いた」つまり「神のお考えを知ることが出来た」という内容です。苦しみを通して神が御自分のお考えを知らせて下さった。そのことが何にもまさって価値あることなのだというのです。仮に、私たちが好き勝手な生き方をしていても、神が放っておかれるとしたら、それは恐ろしいことです。例えば、我が子が、お菓子ばかり食べて、きちんと食事をしないのを、親が放置するとしたら、親はその子を愛しているとは言えません。ちゃんとごはんを食べなさいと言います。これは愛の戒めです。
71節は、新共同訳では「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました」と訳されています。「卑しめられた」とは「低くされた」とも訳せます。それは、おごり高ぶりを砕かれたということなのかもしれません。高慢を砕かれたのは良いことだったのだということです。
初代教会の大伝道者パウロも同様の経験をしました。彼には何らかの病(「とげ」)があって、その病の癒しを必死に祈りました。しかし、神は、あえて癒さないままにされました。それは、自分が「思いあがることのないようにと」神から与えられたものだと気づかされました。そして、119編の詩人のように、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12:9)という神の掟を学んだのです。一般論として病が癒されないことが神の恵みだというのではありません。あくまでも、パウロの場合は、この病が癒されないことこそが、自分が思いあがることから守ってくださるための、神の深い恵みだったという「掟を学」んだのです。
箴言の大きなテーマは「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7)です。人間が忘れてならないことは、神様の前で謙虚に生きることです。ガラテヤ6:3で、パウロはこのように言っています。「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。」この言葉は、パウロの自戒の言葉かもしれません。自分が何者でもないことを忘れないために、神はとげを与えてくださったのだ。
しかし、どう考えても苦しみの意味がわからない。どう考えても「良い事」とは思えないこともあります。しかし、苦しみの意味を納得できるかどうかということも、決定的に重要なことではないのです。主イエスは、最後の晩餐の席で、言われました。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)。主イエスは、今、私たちに御言葉をくださっています。「あなたがたは、この世では悩みがある。けれども、あなたはひとりではない。あらゆる悩みを、あらゆる苦しみを知り尽くしているわたしが、すべてに勝利し、あなたがたといつも共にいる。だから、大丈夫だ」と。
前 奏 -み言葉をください- Satkz
招 詞 詩編19編8-11節(下記)
賛 美 58(1,3) み言葉をください
主の祈り
聖 書 詩編119編65-72節(旧約p.962)
祈 祷
黙 想
説 教 「苦しみに遭ったことは私に良いこと」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 528(1,2)あなたの道を
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
聖 餐 式
賛 美 “御言葉は道の光”(歌詞が開きます)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
成人祝福式・分かち合い
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主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え/主の戒めは清らかで、目に光を与える。
主への畏れは清く、いつまでも続き/主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
金にまさり、多くの純金にまさって望ましく/蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
(詩編19:8-11)
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