1月17日 午前10時30分より
メッセージ:「恐れることはない」
聖書:創世記21章9-21節
説教者:浅輪一郎神学生
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神様が御使いを通してハガルに語られた「恐れることはない」という言葉に耳を傾けたいと思います。
9、10節:サラはイシュマエルがイサクをからかっているのを見ると、「あの女とあの子を追い出しなさい!(ガレーシュ!:ヘブライ語)」とアブラハムに命令します。一方でハガルは当時の社会制度に翻弄されていただけでした。奴隷制とは私たち人間が作り出した制度であり過ちであったと私は考えます。ハガルはその人間が犯してきた過ちに翻弄されています。16章にハガルは子どもを宿すと「女主人を軽んじた」と記されていますが、ハガルにとって主人の子どもを宿すことは、奴隷という立場からの解放を意味していたのかもしれません。ですから喜びというものが、自然とハガルからは溢れていたのかもしれません。しかし、その喜びがサラにとっては屈辱を、さらには長子の特権が奪われるかもしれないという恐れを感じさせるものであったのでしょう。
11節:この出来事はアブラハムを苦しめました。
12、13節:神様はアブラハムに「サラに聞き従いなさい」と、そして「アブラハムの子孫はイサクによって伝えられる」と語られます。しかし即座に13節では、「イシュマエルも一つの国民の父とする」という、かつてアブラハムとイサクに対してされたお約束(創12:2, 22:18)を示されます。
14節:ハガルとイシュマエルは立ち去り、そして荒れ野をさまよいました。この「さまよう(ターアー:ヘブライ語)」という言葉は、アブラハムが生まれ故郷を出てカナンに向かった時のことを振り返る際(創20:13)に、また、イスラエルの民が捕囚を経てカナンに戻る時のことを語る際(詩107:4)に用いられています。ハガルとイシュマエルも、今、さまよっています。
15、16節:水が無くなりました。ハガルはイシュマエルを灌木の下に寝かせます。ハガルは遠く離れて座り込み、声を上げて泣きました。
17節:神の御使いがハガルに言いました。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。」この「恐れることはない(アル・ティラ―/アル・ティルイー:ヘブライ語)」という言葉は、「神の顕現」を示しています。この言葉は、アブラハム、イサク、ヤコブに語られた言葉です。マタイ1章のイエスの系図に連なる者に語られた言葉です。その大切な言葉が、今、泣き崩れている異邦の女に語られています。
18節:神の御使いは、なおもハガルに語り掛けます。「立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱きしめてやりなさい。」そして、あの約束が再び示されます。「わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」
19節:一つの大きな展開が示されます。それが、ハガルは「神の顕現」に触れ立ち上がり、命を繋ぐ力を得たということです。「神の顕現」はその後も続きます。
20節:「神がその子と共におられたので、その子は成長した」と記されています。
私には、アブラハム、イサク、ヤコブに、そして異邦人のハガルに語られたこの「恐れることはない」という御言葉は、現在、様々な恐れの中にある私たちにも語り掛けられている気がしてなりません。神様は、私たちと共におられる。私たちの大切な子どもを成長させて下さる。私たちは、そのことを「恐れることはない」という言葉と共に語られているのだと思うのです。
前 奏 -ほめたたえよ、力強き主を- H・クロッツ
招 詞 詩編19編105節(下記)
賛 美 17(1,2) 聖なる主の美しさと
主の祈り
聖 書 創世記21章9-21節 (旧約聖書 p.29)
祈 祷
黙 想
説 教 「恐れることはない」 浅輪一郎神学生
祈 祷
賛 美 17(3,4)
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 “御言葉は道の光”(歌詞が開きます)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
分かち合い
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「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」
(詩編19:105)
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