1月31日 午前10時30分より
メッセージ:「心に喜び、目に光」
聖書:詩編19編8-15節
説教者:小野慈美牧師
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Ⅰ)知らずに犯した過ち、隠れた罪
「知らずに犯した過ち、隠れた罪から/どうかわたしを清めてください。
あなたの僕を驕りから引き離し/支配されないようにしてください」(13,14)。
自分の一方的な期待を相手に押し付けておきながら、相手が期待通りにしてくれないと、怒りを覚える。しかも、その怒りを持ち続ける。それは、「驕り」(自己中心)が自分を「支配」し続けていることです。私たちはこの種の過ちを「知らずに犯し」ているのではないでしょうか。驕りが私たちの心を支配するときに、罪を犯す。深い洞察です。だから、「驕りから引き離し、支配されないようにしてください」と祈るのです。この罪から守られる秘訣は、絶えず、神を前にして生きることです。
8-11節は、詩編119編に似ています。8節の「主の律法」(御言葉)とは、書かれた言葉ではなく、私たちの前にお立ちになっている生ける神の語り掛けです。人格的な関わりの中で、神の言葉が、「心に喜びを与え、目に光を与える」(9)のです。目に光とは、見るべきものを見る目が与えられること、気づくべきことに気づくことです。
Ⅱ)痛みを伴う気づきから喜びへ
「どうかわたしの口の言葉が御旨にかない心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ」(15)。
罪に気づくことは、一面では痛みを伴います。しかし、痛みを伴うからこそ、そこから新たな生き方へと導かれるのです。その意味で、気づかなかったことに気づかされる経験、しばしば痛みを伴う経験は、喜びにつながるのです。なぜなら、その痛みは、赦されることと結びつくからです。自分が赦さねばならない者であることを知ることが驕りから守られる秘訣です。
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい」コロサイ3:13)。
一見、受け身でありながら、「相手を裁く」という形での驕りというものがあります。
「こんなひどいことされた、言われた」と言って、自分の尺度だけで相手を裁き、自分の尺度を絶対化する。それは自分を神とするに等しい「重いそむきの罪」(14)です。そして、気づかずにその思いに支配されて不機嫌を続けるのです。
もし、今裁く思いをいだいているとしたら、その思いが正当であろうとなかろうと、一旦神にお預けすることです。裁くことは神がなさること。そうするならば、私たちの心には喜び、目にはその喜びが反映した光が戻ってきます。
Ⅲ)贖い主から与えられる赦し
15「主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ」
「贖い」とは、奴隷の身を買い戻すこと、あるいは近親者が借金を肩代わりして、人を債権者という立場から解き放つことです。それが転じて、罪という負債からの救いを意味するようになりました。主イエスの十字架のことばを思い起こします。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。ここに「贖い主」がどのようなお方であるのかが示されています。この祈りがあるから、私たちは、自分の罪の現実を率直に見つめることができるのです。既に根底において赦されていることを知らされているからこそ、恐れず、隠さずに罪を直視することができるのです。その目は決して濁っていません。
前 奏 - 聖なる聖なる - Satkz
招 詞 ローマ12章11-12節(下記)
賛 美 351(1,4) 聖なる聖なる
主の祈り
聖 書 詩編19編8-15節(旧約p.850)
祈 祷
黙 想
説 教 「心に喜び、目に光」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 529(1,4)主よ、わが身を
献 金 (※礼拝堂への入退場時に、または口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 “御言葉は道の光”(歌詞が開きます)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
分かち合い
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「11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」
(ローマ12:11-12)
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