5月9日 10時30分より
メッセージ:「しつように祈りなさい」
聖書:ルカによる福音書11章5-8節
説教者:浅輪一郎伝道師
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「しつように祈る」ことについての導きを求めます。
―時代背景―
当時、パレスティナ社会では祈りについては「神様を絶えざる祈りで煩わせるべきではない」、「1日に3回より多くは祈るべきではない」と言われていたそうです。
ですから、イエス様が今日の聖書箇所の喩えを通して仰った事は、その時代の一般的な常識とは真逆のことであったと言えます。
―「しつように」の語源―
「しつように」というギリシャ語は、元々の意味は「恥知らず」という意味であるそうです。そうしますと「しつように祈る」とは、「恥を知ることなく祈る」、または「恥も外聞もなく祈る」と訳すことも出来ます。
―ゲツセマネの祈り―
「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカ22:42)
ゲツセマネでの祈りを捧げられた後、イエス様は「苦しみもだえられ」、そして「いよいよ切に祈られました」。マタイによる福音書では「3回も同じ言葉で祈られた」と記されています。しかし、その祈りとは御自身がこれから直面する苦悩を取り除くための祈りではなく、神様の御心を問い、御心に従うという祈りでありました。そしてその御心こそが「十字架への道」でありました。しかし、イエス様は十字架への道、そして十字架の上においても、嘲られ、ののしられ続けました。それでもイエス様はしつように祈り続けました。「父よ、彼らをお赦し下さい。」と。私たちは、この祈りゆえに「私たちもしつように祈っていい」と、「私たちも恥も外聞もなく祈っていい」と、さらには「いつでも祈っていい」と、神様との交わりに招かれています。
―他者のために祈る―
再び、5,6節の願いに目を向け、「しつように祈る」ことについてのさらなる意味を求めます。
「パンを三つ貸して下さい」:この人は自分の願いではなく、旅の途中にある友達のためにお願いをしています。しかも、当時パレスティナの農民の間では、「パン三つが標準的な一人分の食事量であった」と言われていますから、この人は必要な分だけのお願いをしたということになります。
「旅行」:この言葉はギリシャ語では「ホドス」で、元々は「道」という意味です。ホドスは、「道」、「主の道」、「旅」、「途中」という表現で聖書では何度も出てきますから、この旅行中の友達とは、「主と出会う旅の途中にある友達」とも解釈ができます。
「何も出すものがないのです」:ここでは、自分は無力であるという謙虚さと、だからこそ、神様に必死に祈り神様の憐れみに委ねるという信頼の心が表わされているかもしれません。
―おわりに―
かつて私たちのためにしつように祈って下さり、そして、今もなお私たちのために祈って下さっているイエス様を通して、私たちも、心に思い描く大切な方々のために、神様を信頼して、しつように祈り続けたいと思うのです。
前 奏 -救いは私たちにきました- J.S.バッハ
招 詞 詩編9編11節(下記)
賛 美 12(1,2) とうときわが神よ
主の祈り
聖 書 ルカによる福音書11章5―8節 (新約p.127)
祈 祷
黙 想
説 教 「しつように祈りなさい」 浅輪一郎 伝道師
祈 祷
賛 美 12(3,4) とうときわが神よ
献 金 (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 25 父・子・聖霊に
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
分かち合い
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「主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。
あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。」
(詩編9編11節)
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