8月29日(日)10時30分より
メッセージ:「イエスはダビデの子か・・・」
聖書:マルコによる福音書12章35-37節(聖書協会共同訳)
説教者:長谷川温雄師
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(戦前の捜真女学校校舎の絵のスライドを映す)。捜真の丘と言ってよいでしょう。戦前と今とでは変わったものです。昔あった紺の屋根の尖がり帽子は戦争で焼け落ち、想像することも出来ません。戦後すぐは教室を聖日礼拝に借りていました。このように人の世は変わるものです。
今より3000年前には神政政治イスラエルは、ダビデ王が君臨していました。王は神だったのです。十授の中には「私のほかに神があってはならない」と刻まれています。中間時代を通して、宗教指導者たちは、その掟を固く守ってきました。
ところが2000年前のイエス・キリストの時代になると、イエス自身が「神の子」として、神の召命を自覚されていたのです。そして人々の間にも「ホサナ」という叫びの声が上がったのです。神のメシアとしての「いま救ってください」という憧憬だったのです。一方、パリサイ派の律法学者やサドカイ派の祭司長らは、イスラエルとユダヤを救うのは、ダビデ家から出る戦いに強い王だと考え、主イエスは一人の預言者だと見ていました。弟子の間には神の子に気づいている人もいました。特に十字架の処刑と復活を通して、そう信じたのがパウロ、テモテなどでした。それがフィリピ書2:6-8に記されています。
今日テキストに用いたマルコ福音書は、主イエスが律法学者らに問いかけた言葉、「あなた方は私をだれと思うか。ダビデの子か」という問いの答えに、詩編110篇1節を用いて、解決を迫った言葉です。「クリオス=主」という言葉が繰り返されますので、分かりづらいのですが、「ダビデの主の霊」という言葉があることから、「主=キリスト」はダビデの子孫ではないという反論を含んでいると考えられます。イエス・キリストはメシアであり、戦いに強い王ではなく、「平和の主」であることをイメージさせる「主の言葉=啓示」ということが出来ます。
「神を普遍的に認識することは出来ず、メッセージ=音信によって、知らされる」とある神学者は言います。
讃美歌2-444には妥当な表現で「神の言葉に気づく」ことが歌われています。
「気づかせてください、知らずに犯した罪を。
与えてください、罪を見つめる力を。
立たせてください、あの隣り人の前に。
そして立ってください、主よ、
わたしたちの間に。」
前 奏 -気づかせてください- Satkz
招 詞 詩編110編1節(下記)
賛 美 307 ダビデの子、ホサナ
主の祈り
聖 書 マルコによる福音書12章35-37節 (聖書協会共同訳)
祈 祷
黙 想
説 教 「イエスはダビデの子か・・・」 長谷川温雄師
祈 祷
賛 美 444 気づかせてください(1節 二回繰り返し)
献 金 (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 24 たたえよ、主の民
祝 祷 長谷川温雄師
後 奏
分かち合い
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わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。
わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」
(詩編110:1)
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