1月30日(日)10時30分より
メッセージ:「キリエ・エイソン」
聖書:マタイによる福音書20章29-34節
説教者:浅輪一郎伝道師
※どなたでも視聴できます。
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「キリエ・エレイソン」とは「主よ、憐れんで下さい」のギリシア語になります。今日はこの言葉に注目して私たち自身に二つの問い掛けをします。そしてこの言葉の本当の意味を心に刻みたいと思います。
問い掛け1:「私たちは、『主よ、憐れんで下さい』と言えるのか?」
マタイによる福音書では、子どもが悪霊やてんかんで苦しめられている親がこの言葉を発しています(15:22,17:15)。また9章にもこの言葉が記されています。これらをみますと、ここで「憐れんで下さい」と口にしている人々は、まさに病気や苦悩の中におられる人々であることが分かります。しかし私たちも、実際苦しんでいる自分の子どもを目の前にしたら「叫ぶこと」や「祈ること」以外に出来ることはありません。また私たちもいつかは病気や苦悩の中に置かれます。イエス様はそのような 私たちが発する「憐れんで下さい」との叫びに、耳を傾け、声を掛けて下さいます。今日の聖書箇所です。二人の盲人は「憐れんでください」と繰り返し叫びます。イエス様は二人に「何をしてほしいのか」とお尋ねになります。二人は「目を開けていただきたいのです」と言います。すると、34節です。イエス様は「深く憐れんだ」とあります。この「深く憐れむ」と訳されている言葉は、「エレイソン」という言葉とは異なる言葉なのですが、その意味は「内臓が引き絞られるほど憐れんだ」という意味であるそうです。イエス様は目の前にいる病気や苦悩の中におられる人々を、ご自身が痛みを覚えるほどに深く憐れみながらエルサレムへと向かわれます。さらにイエス様は目の前にいる人々ばかりではなく、やがて訪れるご自身の十字架における死と復活によって、今に生きる弱い私たちにもその深い憐れみをかけて下さいます。そうしますと私たちが「憐れんで下さいと言えるのか?」という問い掛けについては、もはや私たちが私たちを根拠として憐れんで下さいと言えるかどうかを確認する問題ではないのかもしれません。「憐れんで下さい」とは、たとえどのような時であってもイエス様が深く憐れんで下さっていることを根拠として、私たちが口にすることが出来る恵みの言葉であると言えるのです。
問い掛け2:「私たちは、『主よ、憐れんで下さい』と言っている人に対して、叱りつけて黙らせようとはしていないのか?」
再び今日の聖書箇所です。二人の盲人の叫びに対して「群衆は叱りつけて黙らせようとした」とあります(31節)。その理由についてはこの箇所には記されていませんが、理由は推測できます。1)群衆は律法を知らない者が尊敬する先生に近づいてくることが嫌で叱った。2)「申命記」に記されている病気の蔓延を防ぐための規程を教えるつもりで叱った。3)当時の律法の指導者たちには歩きながら教える習慣があり、群衆はイエス様が言われることを聞こうとして盲人を黙らせようとした。しかしイエス様は、私たち人間が考えつく「あれがダメだ、これがダメだ」とか「ああでなければならない、こうでなければならない」とかという「想い」や「律法」というものから遥かに超えたところに「深い想い」を持たれています。9章には、律法によって一緒に食事をすべきではないとされている人々と食事をしているイエス様に対して、律法をよく知っている人々がそのことを糾弾したことが記されていますが、イエス様は糾弾に対してはっきりとこのようにお応えになります。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐みであって、いけにえではない』」
―結語―
本日、私たちは二つの問い掛けと向き合う中で、私たちは、私たちの「想い」や「律法」というものを根拠としてではなく、「イエス様が私たちを深く憐れんで下さっているということが、私たちが取るべき行動の指針になる」ということを示されました。私たちは、皆、弱い。弱い私たちですが、いいえ、弱い私たちであるからこそ、イエス様はそのような私たちに救いの手を差し伸べて下さっているということを今週も心に留めたいと思います。
「キリエ・エレイソン / 主よ、憐れんで下さい。」
前 奏 - よろずのもの - ウィラン
招 詞 詩編142編2-3節(下記)
賛 美 讃美歌21-32 キリエ・エレイソン
主の祈り
聖 書 マタイによる福音書20章29-34節 (新約p.39)
祈 祷
黙 想
説 教 「キリエ・エレイソン」 浅輪一郎 伝道師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-430 とびらの外に
献 金 (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 2022年主題賛美歌「たゆまず祈りなさい」
祝 祷 小野慈美 牧師
後 奏
分かち合い
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2声をあげ、主に向かって叫び/声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。
3御前にわたしの悩みを注ぎ出し/御前に苦しみを訴えよう。
(詩編142:2-3)
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