4月24日(日)10時30分より
主日礼拝
メッセージ:「主イエスの家族」
聖書:マルコによる福音書3章20-35節
説教者:小野慈美牧師
※どなたでも視聴できます。
右下のフルスクリーンをクリックすると全画面になります。escキーで元に戻ります↑
1)イエスの働きに対する妨害とイエスの反論
主イエスの身内にとってイエスの言動は理解しがたいことだったので、その活動をやめさせて実家に連れ帰ろうとしたのです。また、エルサレムから下って来た律法学者たちは、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言(22)いました。「べルゼブル」というのは、悪霊たちの親分、サタンのことです。律法学者たちは、「イエスは、悪霊の親分であるサタンの力によって、悪霊を追い出している。だから、あの男について行ってはならない」と警告しているのです。
主イエスは反論します。「私がサタンの力によって、サタンの子分たちを追い出しているというのか。国が内戦をしたら、国として成り立たない。家に内輪もめがあれば、その家は壊れてしまうではないか。(23-26)。わたしはサタンにまさる権威をもっている(27)。サタンを縛り上げることによって、これらの業を行っているのだ。私がサタンに取りつかれているのではない。」
2)聖霊を冒涜する罪
人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される(28)は、福音そのものです。弱くて、迷いやすい、疑いやすい、愚かな私たちをも、神様は絶対に捨てないと言われます。「あなたは赦されている、あなたは神に愛されている」という聖霊の語り掛けを、それと知りつつ、意図的に拒むのは赦しを否定するので、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う(29)ことになるのです。「私は聖霊を冒涜する罪を犯していはしないだろうか」と不安に思う人は、この罪を犯していません。なぜなら、その人は、基本的には神様と健やかな関係にいたいと願っているからです。
3)血縁を越えるもの
イエスに面会を求める母や兄弟たちに対し、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え(33)、あたかも血肉などはどうでも良いと言っているかのようです。しかし、イエスは決して人間的なきずなを軽んじているのではありません。十字架の上で愛弟子に、私の母をよろしくと頼んでいます(ヨハネ19:27)。ただ、家族のきずなは相対的なものであり、神とのきずなこそ一番大事なものです。その神から与えられたものとして家族を受けとめ直すときに、家族を私物化しようとしなくなるから、かえって家族とのきずなも健やかに保たれるのです。
4)神の御心を行なう人
イエスは、イエスの周りにはさまざまな種類の人がいたはずです。取税人、遊女、体や心の病に苦しんでいる人、不当な扱いを受けている人、自分の犯した罪の呵責に苦しんでいる人・・・。そのような人々に対してこそ、イエスは、神の赦しと愛を語りました。「いいかい、身内が何と言おうと、世間が何と言おうと、あなたがたは神から愛されている大切な存在だ。だから自分を粗末にしてはいけないよ。自分を卑下してはいけないよ。確かに罪を犯したよね。でも、父なる神は赦してくださる。だから、赦された者として生きていって良いのだよ。安心して行きなさい」。
前 奏 - 静けき河の岸辺を - H.ドゥコー
招 詞 ヨハネによる福音書15編16節(下記)
賛 美 讃美歌21-204(1,4) よろこびの日よ
主の祈り
聖 書 マルコによる福音書3章20-35節 (新約p.66)
祈 祷
黙 想
説 教 「主イエスの家族」 小野慈美 牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-544 イェスさまが教会を
献 金 (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-28 み栄えあれや
祝 祷 小野慈美 牧師
後 奏
分かち合い
***************************************
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」(ヨハネ15:16)
■ご意見・ご感想
よろしければ、礼拝視聴後にご意見・ご感想をお寄せください。
また牧師宛のメッセージは、牧師のみでお取り扱いさせていだきます。
当目的以外に利用いたしません。
ご意見・ご感想はこちら
〒221-0804
神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
TEL 045-323-2967
FAX 045-323-3979