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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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礼拝Worship

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2022/7/17の礼拝

7月17日(日)10時30分より
メッセージ:「偶然が必然に」
聖書:ヨハネによる福音書15章15-17節
説教者:小野慈美 牧師

※どなたでも視聴できます。

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主イエスが最後の晩餐の席で語られた言葉の中から三つの言葉に心を留めましょう。
Ⅰ「わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。…わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(15)
この友人関係の基礎は、弟子たちの側ではなく、主イエスの側にある。主イエスは、弟子たちが優れていたから愛したのではありません。彼らにはゆがみや欠点がありました。それでも「友」と呼んだのです。「僕」と訳されている言葉は「奴隷」とも訳せます。奴隷は人格を認められない単なる道具という意味です。しかし、友は、対話ができる人格的立場を認められるということです。15:13に「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とあります。イエス様はこの後、実際に友である弟子たちのために命を捨てられました。血判状というものがあります。誓いのしるしに、自分の署名の下に、指先に傷をつけ血をはんこのように押す。あなたがたを友と呼ぶというイエス様の誓いは、十字架の血によって、保証されています。
Ⅱ「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(16)
主イエスの選びは、優秀な者を選び出す「選抜」ではありません。人間の側から見れば、何の基準もないようです。この「選び」は主イエスが与えてくださる「出会い」です。信仰の決断は、自分で決めるというよりは、気がついたらイエス様が傍らにいてくださったことに気づくということです。
皆さんが、この礼拝におられる理由は、人間的には偶然の積み重ねの結果と言えます。しかし、信仰的に見るならば、その背後にすべてを超えた神さまの不思議な愛の選びがあるのだと思います。信仰とは、人間的には偶然の積み重ねと見える現実を、神の恵みとして捉えることができるようになることです。「これは神さまの配慮に満ちた導きであり、その意味で必然だったのだ。」と受け止めることです。自分で決めたと思うと、「これで良かったのだろうか」と不安になりますし、願いに反することがあると、他の人生があったのではないか、と自分の人生を受け入れることができなくなります。しかし、自分に起こったことを、最終的には、神の愛の導きのもとにあるのだと受け止めるならば、平安が与えられます。
Ⅲ 「(わたしがあなたがたを愛したように)互いに愛し合いなさい」(12,17)
主イエスは、何故あなたを選ばれたのでしょう。それは、あなたを愛する対象として選ばれたからです。神は、人類一般を愛しておられるのではなく、一人一人を心にかけてくださるのです。教会には、①バプテスマを受けた方と②求道中の方がおられます。そのいずれにも起こりうる一つの問いがあります。それは「自分は神に愛されるにふさわしくないのではないか」という問いです。その根底にあるのは、「神様に愛されるには、基準をクリアーしなければならない、良い子でなければだめだ」という考え方です。これを律法主義と言います。しかし、それは神のご意思ではありません。
「わたしがあなたがたを愛したように」とは、「どのように」でしょうか。この場面の直後に、弟子たちは主イエスを裏切って逃げます。そのことをご存知であったにも関らず、主はまず弟子たちを愛してくださったのです。
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどれほどの愛を私たちにお与えくださったか、考えてみなさい。事実、私たちは神の子どもなのです」(ヨハネの手紙Ⅰ 3:1聖書協会共同訳)私たちの頭には、父である王様から王子、王女の徴としての冠が与えられています。しかし「今の自分では、神の子とは言えない」と、うなだれるときに冠がずり落ちます。王子、王女であるという立場は変わりません。ですから、どんなことがあっても自分を愛し続けて下さるという神様の愛を喜びましょう。そのことを深く喜ぶときに、「互いに愛し合う」ことも可能とされるのです。


前   奏   - み言葉をください - Satkz
招   詞   エフェソの信徒への手紙3章16-17節 (下記)
賛   美   讃美歌21-227(1,2,4) 主の真理は
主の祈り
賛   美   - 愛 -   ロッシーニ    ジュニア聖歌隊
聖   書   ヨハネによる福音書15章15-17節 (新約p.199)
祈   祷
黙   想
説   教   「偶然が必然に」        小野慈美 牧師
祈   祷 
信仰告白   
賛   美   讃美歌21-521(1,3,4) とらえたまえ、われらを
献   金   (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
バプテスマ式
賛   美   讃美歌21-28 み栄えあれや
祝   祷                  小野慈美 牧師
後   奏 
分かち合い


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いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
(詩編32:1b-2)


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