2022/9/11の礼拝
9月11日(日)10時30分より
メッセージ:「引き合わされる 私たち」
聖書:使徒言行録10章1-23節
説教者:浅輪一郎伝道師
※どなたでも視聴できます。
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コルネリウスとペトロに示された幻に注目します。この縁もゆかりもない二人にそれぞれ異なった幻が示され二人は引き合わされていきます。今日、私たちはこれらの幻は実は私たちにも示されていることであるということを思い起こしたいと思います。
(コルネリウスの幻)
コルネリウスは、ローマ帝国の強力な後ろ盾があるにも関わらず、カイサリアでは、信仰生活となると、後ろめたさとか罪悪感とか疎外感とかさえも感じていたのではないかと思われる複雑な状況に置かれていました。しかし、そのような彼に示された幻とは、「あなたにはユダヤ的とも思えるかもしれないヤッファに人を送って、ペトロを招きなさい」というものでした。
(ペトロの幻)
一方で、ペトロはイエス様の一番弟子でありましたからイエス様について見聞きした事は心に留め、実際に行っていたと、少なくともペトロ自身は思っていました。しかし彼にも幻が示されます。
「天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのペトロは見ます。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。するとペトロよ、身を起こし、屠って食べなさいという声がしました。ペトロは主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありませんと言い返します。すると神が清めた物を 清くないなどと、あなたは言ってはならないという声が聞こえてきました。こういう事が三度あって、そして、その入れ物は天に引き上げられました。」10-16節
このペトロの幻の意味するところ、それは神様が清めた物を、つまり神様がお創りなり、それをご覧になって「良し」とされた物を、ペトロが「清い」だとか、「清くない」だとか言ってはならないということです。ペトロは確かにユダヤ人社会の中で軽蔑されていた人には、働き掛けをして福音を伝えていました。しかしその行為が、もし仮にユダヤ人に限定されていたり、神がお創りになった人をペトロが分け隔てをするようなことがあったとするならば、それは、ペトロがこれから克服すべき課題だということなるのです。そして、幻ではさらに、「あなたには異邦的と思えるかもしれないカイサリアに行って、福音を宣べ伝えなさい」と示されます。
縁もゆかりもない二人が、神様がお示しになった幻によって引き合わされます。そしてその後、ペトロはイエス・キリストの福音を語り、そしてコルネリウスはそのことに耳を傾けます。10章37節から41節は新約聖書における最も短い「イエス伝」と呼ばれています。二人は、共に、イエス・キリストを仰ぎ見ることになるのです。
(結語)
私たちには、教会を建てかえていくという幻が示されています。その幻にはコルネリウスとペトロが引き合わされたように、神様の想いが込められています。
私たちは引き合わされます。人種の違い、民族の違い、知識/経験の違い、価値観の違い、いかなる違いをも超えて、私たちは引き合わされるのです。そして私たちは、共に、イエス・キリストの福音に耳を傾けるのです。それが教会であり、それが神様が私たちに望まれている事です。私たちはこれからも、共に、教会を建てていくのです。
前 奏 ―「すくいの道を」による黙想曲 ― 蒔田尚昊
招 詞 詩編65編5節 (下記)
賛 美 讃美歌21-409 すくいの道を
主の祈り
聖 書 使徒言行録10章1-23節 (新約p.232)
祈 祷
黙 想
説 教 「引き合わされる 私たち」 浅輪一郎伝道師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-390 主は教会の基となり
献 金 (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-24 たたえよ、主の民
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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いかに幸いなことでしょう/あなたに選ばれ、近づけられ/あなたの庭に宿る人は。恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって/わたしたちが満ち足りますように。(詩編65:5)
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