1月22日(日)10時30分より
メッセージ:「負った十字架に負われて」
聖書:マルコによる福音書8章29節-9章1節
説教者:小野慈美牧師
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1)イエスは誰か
キリスト教の信仰にとって大切なことは、人間が神を定義するのではなく、まず永遠の神(創造主)がおられて、その神がご自身をお示しくださること(「啓示」と言います)によって神を知ることです。ですから、「神を知る」ということは、単に、神についての正しい教えを知ることではなく(それも大事なのですが)、神が人となったお方であるイエス・キリストに出会って、その方との関係に生きるということです。
きょうの箇所は、マルコの転換点です。この後、主イエスは十字架に向かってエルサレムへの道を歩み始めます。その前に、主イエスは弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と尋ねました。弟子たちは人々の噂を伝えました。さらに主が「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問うと、ペトロが「あなたは、メシアです。」「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ18:18)と答えました。
2)神のことを思わない罪
ペテロは正しい答えをしたのですが、主イエスはそのことを秘密にしておくようにと命じます(30)。 弟子たちにはその告白の全貌を理解することは無理であったからです。その弟子たちの無理解がただちに暴露されます。ペテロの告白の後に、イエスは、メシアとしての苦難を予告します(31)。しかし、それはペテロがいだいていたイメージとはかけ離れたものでした。そこで、「ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた」(32)。ペテロは、「私たちが願っているメシアは、力強い王、イスラエルをローマの圧政から救い出してくださる存在です」と伝えたのでしょう。それに対し主イエスは、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」とペテロを叱りました。引き下がれとは、私の後ろに下がれ、私に従えという意味です。ペテロはここで、主イエスの前に出て、あたかも自分が主人であるかのような態度を取った。これが、高慢という罪です。高慢の恐ろしさは、人は自分の高慢にはなかなか気が付かないということです。なぜなら、高慢であるときは、自分は間違っていないという思いがあるからです。サタンは人間の正しさの背後に潜んでいる高慢を用いて誘惑するのです。ペテロはメシアを定義しようとしました。自己絶対化の罪、高慢の罪です。
3)弟子のあり方
そこで、主イエスは、弟子たる者の在り方を示されました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(34)。
①自分を捨てる これは、自分のやりたいこともがまんして禁欲的に生きることではありません。イエスに従うとは、まず、イエスの愛の交わりの中に生きることです。その交わりを妨げるものを捨てることです。
②自分の十字架を負う 「自分の十字架」とは、その人固有の使命です。十字架は一面では強いられたものですが、同時に恵みでもあります。託された使命を引き受けて生きるとき、その使命によって自分が生かされていることに気づかされます。あなたはあなたなりの仕方でイエスさまに従っていけばよいのです。人と比べる必要はありません。
パウロは、自分の「とげ(持病)」が取り除かれることを必死に祈りましたが、病は癒されませんでした。しかし、パウロにとっては病が癒されないことが恵みであることを知ったのです。彼は、この十字架(病)によって、高慢になることから守られていたことに気付かされたのです。十字架を負っていたつもりが、その十字架に負われていたことを知り、感謝したのです。私たちにとっても、「できれば放り出したい」と思っている十字架が、実は、私たちを守っていることもあるのかもしれません。
前 奏 - 主イエス・キリストよ、我らをかえりみて- G.ベーム
招 詞 詩編111編10節 (下記)
賛 美 讃美歌21-225 すべてのものらよ
主の祈り
賛 美 ― イエスきみはいとうるわし ―
聖 書 マルコによる福音書8章29節-9章1節 (新約p.77)
祈 祷
黙 想
説 教 「負った十字架に負われて」 小野慈美牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-507 主に従うことは
献 金 (※礼拝献金は、入退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-27 父・子・聖霊の
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。
主の賛美は永遠に続く。(詩編111:10)
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