2月12日(日)10時30分より
メッセージ:「山の上にある教会」
聖書:マタイによる福音書5章14節
説教者:浅輪一郎伝道師
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今日の聖書箇所「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」について「山」「あなたがた」「光」という三つのキーワードに注目しながら導きを求めます。
(山)
マタイによる福音書においては山上の説教が文字通り山の上で行われましたが、これは非常に暗示的であると言われています。大切なことの多くが山の上でなされ、そして語られてきたと、同福音書には記されています(例:4:8、14:23、17:1、26:36、28:16-17)。
(あなたがた)
イエス様が語り掛けられた「あなたがた」とは、誰のことを指しているのでしょうか。たとえば知識や経験のある人たちだけを指しているのでしょうか?山上の説教の場でしたら、イエス様の弟子達だけを指しているのでしょうか?山上の説教がなされた直前の箇所(5:1,2)に目を向けてみますと、確かにイエス様が語り掛けられた「あなたがた」とは弟子達だけのようにも思われます。しかし今度は山上の説教がなされた後の箇所を見てみますと、このような記述もあります。「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに、非常に驚いた。」(7:28)ここでは、イエス様の言葉を聞いて驚いたのは、「群衆」となっています。そうしますと、「あなたがた」とは、必ずしもイエス様の弟子たちだけで留まっている訳ではないという可能性も見えてきます。元々は弟子たちのためだけに語られていたのかもしれないイエス様のお言葉は、山の上においては山の風に乗って、群衆の耳にもしっかりと届けられていたのです。
(光)
イエス様が語られた「あなたがたは世の光である」の「世の光」とは、どのようなことなのでしょうか。「山」と同様に「光」につきましても、マタイによる福音書のみならず聖書全体を通して大切なことが暗示されています。旧約聖書、創世記1章1節から3節では、「神様は光さえも生み出された」ということが暗示されています。そして新約聖書の時代となり、福音書の記者たちは、「イエス様が『光』である」と証言します。特にヨハネによる福音書においては、神様から遣わされたイエス様が力強く「私は世の光である」と宣言されている記述があります(8:12)。かつて、この地がまだ暗く混沌であった頃に神様が「光あれ」と言われたように、今度神様は、私たち人間が神様から離れることによってもたらされた暗闇/混沌の中に「イエス様という光」を送って下さいました。それは「イエス様を信じる者がだれも暗闇の中にとどまることのないように」(12:46)という神様の願いからされたことでありました。そしてそのイエス様も、「私が世の光である」と宣べられた後、はっきりと、このように宣言しておられます。「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(8:12)イエス様に従う者はもはや暗闇の中を歩くことはありません。何故ならば、イエス様に従う者は、イエス様からもたらされる命の光を持つからだとヨハネは言うのです。
(結語)
今日、私たちが導かれていますこととは、1)「山の上」で語られるイエス様のお言葉は、弟子であろうが群衆であろうが、たとえ私たちの側に何らかの知識や経験があろうがなかろうが、最終的には「『イエス様のお言葉を聞きたい』と山の上に集ってくる全ての人々に届けられる」ということです。「あなたがたは世の光である」と。2)さらにもうひとつ導かれていますこととは、この「あなたがたは世の光である」と語られたお言葉は、このお言葉以前にイエス様が「わたしは世の光である」とおっしゃったというとことなのです。私たちに何らかの資格があって世の光となる訳ではなく、神様が「光あれ」ともたらされたイエス様がこの世の光であるから、私たちもイエス様のお言葉を聞き、イエス様に従うことによって、この世の光となるということなのです。
イエス様のお言葉を求めて山の上に集う人々の群れは、つまり山の上にある教会は隠れることが出来ません。何故か?それは、山の上においては、私たちが、たとえ今どこに立っている人間であったとしても、それが群衆の前であろうが群衆の中であろうが、一度イエス様のお言葉を耳にし 、受け入れ、そして従う者からは、その人を通しても、イエス様が世の光を力強く放たれるからなのです。
「あなたがたは世の光である。山の上にある教会は、隠れることができない。」
前 奏 ― 心の底より 神に感謝せん ― J.G.ヴァルター
招 詞 詩編43編3節(聖書協会共同訳)(下記)
賛 美 讃美歌21-291 み神の座を捨て(1,2,4)
主の祈り
聖 書 マタイによる福音書5章14節 (新約p.6)
祈 祷
黙 想
説 教 「山の上にある教会」 浅輪一郎伝道師
祈 祷
賛 美 讃美歌第二編-189 丘の上の教会へ(1,3,4)
献 金 (※礼拝献金は、入退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-28 み栄えあれや
祝 祷 東間克美師
後 奏
分かち合い
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あなたの光とまことを遣わしてください。それらは私を導き/聖なる山、あなたの
住まいに伴ってくれるでしょう。(聖書協会共同訳 詩編43:3)
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