3月3日(日)10時30分より
メッセージ:「十字架を免れたイエス」
聖書:マルコによる福音書15章1-20節
説教者:小野慈美牧師
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<十字架につけられるイエス>
ユダヤ教の指導者たちは、主イエスを冒涜の罪、つまり、宗教的な理由で処刑しようとしました。石打ちの刑にすることもできたはずです(レビ記24:16)が、なぜローマ総督に訴えたのでしょうか。おそらく、主イエスを慕う人々が多く、その影響力を恐れたのでしょう。自分たちが殺したら、どのような反動が出てくるかわからない。そこで、ローマの権力を使って、イエスを無き者にしようと考えたのでしょう。そうすれば、表向きはローマのせいにすることができました。そこで、ローマから派遣されていた総督ピラトのもとに出向きました。宗教上の理由で死刑にはできないので、「この男は、自分を『ユダヤ人の王』だと言って、ローマへの反逆を企んだ」と偽証しました。
そこで、ピラトが取り調べをします。ピラトの「お前がユダヤ人の王なのか」(2)という問いに対し、主イエスは、「そうだ」とも「違う」とも言っていません。確かに、罪を赦し、救うために生まれてきたメシアだという意味では、神の子、王だ。しかし、人々の求めている政治的解放者としてのメシアという意味では、私はメシアではない。
そのとき、バラバという男が投獄されていました。バラバは、ローマに対する抵抗運動をして、ローマ兵を殺した可能性があります。ユダヤ人にとっては、ある意味では、ヒーローでした。もし、イエスが、バラバのように立ち上がって、ローマを撃退してくれたら、人々は、イエスを文字通り「ユダヤ人の王」として崇めたでしょう。しかし、それがかなわなかったので、むしろ、バラバの釈放を願うようになりました。
「いつものようにしてほしい」(8)とは、祭りのときに犯罪人の一人を無罪にする恩赦、特赦のことでした。ピラトは、イエスが訴えられているのは、政治的反逆の故ではなく、祭司長たちの「ねたみのためだと分かっていた」(10)ので、「お前たちが『ユダヤ人の王』と訴えているあの男を釈放して欲しいのか」とあえて問いました。それに対し「祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した」(11)のです。
ピラトは、訴えます。「この男は、お前たちが訴えているような罪は犯していない。だから、死刑になどできない」。しかし、「群衆はますます激しく、『十字架につけろ』と叫び立てた」(14)のです。
ピラトはユダヤ人たちの要求を呑まないと、人々が騒ぎを起こし、自分の総督としての立場が危うくなると考え、バラバを釈放することにしました。一方イエスに対しては、むち打ちをした後、十字架刑を宣告し、ローマの兵士たちに引き渡しました。(15,16)。兵士たちは、主イエスをさんざん侮辱しました(16-20)。
<十字架を免れたイエス>
十字架を免れたイエスとは、バラバのことです。バラバの名前は、バラバ・イエス(マタイ27:16)というのです。当然、彼が死刑になるはずでした。しかし、彼が全く知らないところで行われた裁判によって、彼は死刑を免れたのです。私たちも、神の前では、バラバと変わりません。しかし、バラバである私たちが負うべき十字架を、主イエスが負ってくださったので、私たちも十字架を免れたのです。
「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(Ⅱコリント5:21)。
ピラトが「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」(ルカ23:4)と断言した主イエスが、罪ある者として裁かれ、バラバ・イエスが罪なき者として釈放されました。それはまた、わたしたちが罪なき者として赦されるためだったのです。
前 奏 - イェスの担った十字架は - H. ニーウコープ
招 詞 イザヤ書53章6-7節(下記)
賛 美 讃美歌21-4 世にあるかぎりの(1,3,5)
主の祈り (「讃美歌21」 93-5-B 日本キリスト教協議会統一訳)
賛 美 - イェスの担った十字架は - 聖歌隊
聖 書 マルコによる福音書15章1-20節 (新約p.94)
祈 祷
賛 美 讃美歌21-305 イェスの担った十字架は(1,4,6)
黙 想
説 教 「十字架を免れたイエス」 小野慈美牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-304 茨の冠を主にかぶせて
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 (「教会の約束」を唱和 )
賛 美 2024年主題賛美歌 作曲:鈴木敦子
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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6 わたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。7 苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。
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