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礼拝Worship

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2024/3/17の礼拝

3月17日(日)10時30分より
メッセージ:「神の子なら…」
聖書:マタイによる福音書4章1-11節
説教者:浅輪一郎伝道師


※どなたでも視聴できます。

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「イエス様が神の子である/神の力を持つ」ということについて、“荒野の誘惑”とも呼ばれることもある今日の聖書箇所から導きを求めます。
(はじめに)
「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。」(1節)聖書において “悪魔”という存在は、“創造主である神様に反逆する存在”として描かれています。そうしますと、私たちの中で芽生える、神様を疑ったり試そうしたりする思い、さらには神様から離れようとする思いも“悪魔的な存在”となり得ます。次に、“霊”と言葉にも注目しますが、聖書が言う “霊”とは、旧約聖書においては、「神様が人間をお創りになって、命の息を吹きかけられた」という神様から与えられる命そのものを指しています。さらには新約聖書においても“霊” とは、イエス様の生涯に渡って導きを与える大切なものであります。その神様の霊が、神様の思いが、神様の命が、これから神の子として伝道を開始されるイエス様と悪魔/悪魔的な思いとを対峙させます。
(誘惑1)
悪魔が誘惑をします。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」(3節)イエス様は「四十日間、断食をされ空腹を覚えられていた」(2節)とあります。旧約聖書を思い起こしますと、イスラエルの民は荒野で40年間飢えを経験していました。その際、神様は、「マナ」と呼ばれる食べ物をお与えになっていました。ですから悪魔はイスラエルの民なら誰もが知っているこの過去の出来事に関連させながら誘惑したということになります。しかし、イエス様は聖書の言葉を引用しながらこのように答えられます。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」(4節)これは、「イエス様はご自身の飢えを満たすために奇跡は起こさない。そんなことの為に神の子として遣わされている訳ではない」と仰ったということになります。さらには、「ご自身がいのちのパンである/永遠の命をもたらして下さる方である」ということもほのめかされているのでしょう。  
(誘惑2)
「次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、 … 』と書いてある。」(5,6節)悪魔の誘惑/悪魔的な思いというものは巧妙です。なぜならここで悪魔が『何々と書いてある』と言い放つことは聖書からの引用であり、しかも悪魔が連れて行った場所とは、エルサレムの神殿のことであり、この場所もかつては“神様の住む場所”として捉えられていたからです。その神様の住む場所において、悪魔は神様の言葉をもっともらしく持ち出しながら誘惑します。眼下には大勢の群衆がいたことでしょう。その群衆の前で奇跡を起こせば、いとも簡単に「イエス様が神の子である」と知らしめることは出来たはずです。しかし、イエス様はやはり聖書の言葉を引用しながら、「あなたの神である主を試してはならない」(7節)と答えられます。イエス様はここでも毅然と神の子としての奇跡は、「自分の名誉を満たすために用いる訳ではない」とお示しになります。
(誘惑3)
「更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。」(8,9節)“悪魔”という存在が“創造主である神様に反逆する存在”ならば、この誘惑は“これぞ悪魔が一番願っている誘惑”とも言えるのかもしれません。つまり“神様を捨て、その代わりに悪魔に/悪魔的な思いにひれ伏す”という誘惑です。これに対してイエス様は、このように言われます。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」(10節)すると、ついに悪魔は離れ去りました。そして今度は天使たちが来てイエス様に仕えました。 (11節)
(結語)
イエス様は、悪魔の「神の子なら、○○すべきだ」という誘惑には一切乗りませんでした。しかし同時にこのことは、イエス様は、私たちの「神の子なら、○○かもしれない」という思いにも、さらには「神の子なら、○○してくれるはずだ」という思いにもお答えにはならないということも示していると言えるのでしょう。しかし今日の聖書箇所は、私たちに対しては、「大丈夫。安心しなさい」ということも示しています。なぜならイエス様は誘惑に打ち勝ち、神様の御旨に従うことを選ばれるからであります。つまり、そのことは“予兆”として十字架に向かって歩まれることを示しているからであります(26、27章)。そしてその全ては、私たちの罪を赦し、私たちを救って下さるためであり、さらに申し上げるのならば、 私たちに永遠の命を与えて下さるためであるからであります(ヨハネ3:15,16)。これほどの奇跡を起こされる方が私たちの神の子であるということになります。







前   奏  -おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け- J. S. バッハ
招   詞   詩編29編1-2節(下記)
賛   美   讃美歌21-305 イェスの担った十字架は(1,2,6)
主の祈り  
聖   書   マタイによる福音書 4章1-11節 (新約p.4)
祈   祷
黙   想
説   教   「神の子なら…」           浅輪一郎伝道師
祈   祷 
賛   美   讃美歌21-297 栄えの主イェスの
献   金  
感謝祈祷
賛   美   2024年主題賛美歌 作曲:小室尚子
祝   祷                      小野慈美牧師
後   奏
分かち合い

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神の子らよ、主に帰せよ 栄光と力を主に帰せよ
御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。(詩編29:1-2)







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