4月28日(日)10時30分より
メッセージ:「網を右側に」
聖書:ヨハネによる福音書21章1-14節
説教者:小野慈美牧師
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「網を右側に」 ヨハネ21:1?14 小野慈美牧師
今朝も、主なる神が、復活なさった主イエスが、ここに来てくださる。もちろん、目には見えませんが、命を宿す言葉という形で来てくださる。説教者はその命の言葉を取り次ぐために立たされています。今日の箇所から、教会ついてのイメージを与えられます。
(1)一致:「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」
網を打つのは、一人ではできない。力を合わせて網を打つ。それぞれが勝手な方向に網を投げたら、網は破れてしまう。教会もそうです。何を良しとするかは、必ずしも同じではない。
自分の知識や経験を最優先しようとすると、どうしても、対立が起こる。では、どうしたら良いのか。主のお言葉を一緒に聞くことです。「このことについて、主のお心は何か」という方向で一致して祈るならば、主が導いてくださいます。
(2)宣教:「百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。」
153という数字は、当時知られていた魚の種類だと言われています。つまり、教会にはあらゆる人が招かれているのだから、すべての人に福音を宣べ伝える使命があるということです。教会が共に舟の右側に網を打つならば、網は破れない。もし網が破れるとしたら、それは、「主の言葉に共に耳を傾けよう」という思いが破れてしまっているからです。
(3)招き:「イエスは、『さあ、来て、朝の食事をしなさい』と言われた。」
一晩中漁をして、相当疲れていた弟子たちが、岸に上がると、主イエスが食事を用意してくださっていた。これは、想定外のことであった。しかもうれしい想定外であった。普通ならば、弟子が、先生のために働くのに、ここでは、先生が弟子たちのために働いてくださる。しかも、このとき最も必要としているものを与えてくださる。これは、礼拝、そして、聖餐を暗示しています。礼拝、聖餐は主イエスとの会食です。主が用意してくださる命の糧をいただく。そのことによって、疲れた心と体を癒していただく。罪の赦しの宣言を聞き、重荷を取り除いていただく。礼拝は命の糧をいただく場所です。だから、疲れたときに、来て良いのです。信仰がぐらつくような思いになるときに来て良いのです。思うように教会の奉仕ができなくても、礼拝には来て良いのです。さあ、来て、朝の食事をしなさい。
弟子たちが魚が取れずにあがいていたときにも、主はずっと立っておられたに違いない。同様に、私たちが、疲れてうなだれているとき、たとえ、私たちが気づかなくとも、主は立っておられ、声をかけてくださる。「視点を変えてごらん。私の指し示すほうに目を向けてごらん」。促されて右側を見る。そこに同じ方向を向いて、主を礼拝している人たちがいる。いろいろな人がいるけれども、同じ主を仰いでいるという点においては一つとなれる。だから、教会の中心は礼拝なのです。お互いに「あれは主だ」と互いに呼び交わす。主はそこにおられます。だから、さあ、来て、朝の食事をしなさいという主の食卓にわたしたちも、はせ参じましょう。
前 奏 - 心をはずませ - J.C.H.リンク
招 詞 詩編92編1-4節(下記)
賛 美 讃美歌21-329 目覚めよ、歌えよ(1,3,5)
主の祈り
賛 美 - 恐れを捨て去り - 聖歌隊
聖 書 ヨハネによる福音書21章1-14節 (新約p.211)
祈 祷
黙 想
説 教 「網を右側に」 小野慈美牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-505 歩ませてください
献 金
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-27 父・子・聖霊の
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い 音楽奉仕者任職式
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2いかに楽しいことでしょう 主に感謝をささげることは
いと高き神よ、御名をほめ歌い 3朝ごとに、あなたの慈しみを
夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは 4十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ 琴の調べに合わせて。(詩92:1-4)
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