6月16日(日)10時30分より
メッセージ:「人間をとる漁師にしよう」
聖書:マタイによる福音書4章18-22節
説教者:浅輪一郎伝道師
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「人間をとる漁師にしよう」とはどういうことなのか?ということについて三つのキーワードから、そしてこのお言葉は、何故そんなに力強いのか?ということについて導きを求めます。
(一つ目のキーワード:日常)
日常生活の中で、イエス様は人々に目を向けられ、そして関心を寄せておられます。
イエス様は、弟子を召されるにあたっては市井の人々が日常生活を営んでいた“異邦人のガリラヤ”(15節)にとどまわれました。そしてイエス様は、そのガリラヤの湖のほとりで漁師のペトロとアンデレをご覧になりました。彼らは網を打っていました(18節)。彼らは漁師としての日常生活を営んでいただけでありました。彼らは必ずしもこの時点では聖書についての専門的な知識を持っていた訳ではなかったのかもしれません。礼拝の重要性を分かっていた訳でもなかったのかもしれません。しかしイエス様は、一生懸命日常生活を営んでいたペトロとアンデレに声を掛けられました。「わたしについて来なさい」(19節)と。さらには、同じように懸命に日常生活を営んでいたヤコブとヨハネにも声を掛けられ、お呼びになりました(21節)。
(二つ目のキーワード:憐れむ)
「憐れむ」という言葉に注目します。まず、今日の聖書箇所で動詞に注目してイエス様がなさったことを振り返ります。
イエス様はご覧になります(18節) → 「人間をとる漁師にしよう」と言われます(19節)
イエス様はご覧になります(21節) → 弟子としてお呼びになります(21節)
この一連の動詞(ご覧になる/見る→召す)の流れをみる時に、私はマタイ9:35-38節の御言葉を思い起こします。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
ここから私たちが示されていますことは、弟子とはそもそも誰のための弟子なのか?ということなのですが、それが群衆のための弟子であるということであります。そしてイエス様はその群衆のために深く憐れまれたということは、イエス様はその群衆のための働きを担って行く弟子たちに対しても、同じように憐みを向けられているということであります。
(三つ目のキーワード:生かす)
ギリシャ語の聖書を開いてみますと、「人間をとる漁師にしよう」という一文においては「とる」という言葉が使われていないことが分かります。「人間の漁師にしよう」とだけ記されています。にも関わらず、多くの翻訳において「人間をとる漁師にしよう」と訳されているのは、文脈的に分かりやすくするためなのでしょうが、英語訳の聖書においては、まれにこの「の」を「ための」と捉えて「人間のための漁師にしよう」と訳されている聖書もあります。そして私はこの翻訳に「生かす」という言葉を見て、「人間を生かす漁師にしよう」と言われているように思えるのです。
(おわりに)
「人間をとる漁師にしよう」とは、必ずしも明らかに相応しい場所にあって相応しそうに見える人々だけに語られているお言葉ではありません。むしろ、日常生活の中で、弱り果てていたり、打ちひしがれていたりする人々がいるとするならば、そのような人々にも語られているお言葉であるということであります。そしてそこには、イエス様の深い憐みがあり、人を生かす強い力があるということであるのです。今日の招きの詞にはイエス様のお言葉が何故そこまで力強いのか?ということが示されています。「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」
(ヨハネ6:63)イエス様がお話しされたお言葉は、霊であり、命であります。人を生かす命であります。だから力強い。だから私たちをもイエス様に従う者へと突き動かしていくのです。
前 奏 - いざわれら主なる神に - J.C.バッハ
招 詞 ヨハネによる福音書6章63節(下記)
賛 美 讃美歌21-361 この世はみな(1,2)
主の祈り
聖 書 マタイによる福音書4章18-22節 (新約p.5)
祈 祷
黙 想
説 教 「人間をとる漁師にしよう」 浅輪一郎伝道師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-516 主の招く声が
献 金
感謝祈祷
賛 美 2024年主題賛美歌 作曲:小室尚子
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
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人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。(口語訳ヨハネ6:63)
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