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礼拝Worship

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2024/9/8の礼拝

9月8日(日)10時30分より
メッセージ:「群衆も弟子も」
聖書:マタイによる福音書4章23-25節
説教者:浅輪一郎伝道師


※どなたでも視聴できます。

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 「群衆」と「弟子」という言葉に注目しながら導きを求めます。
23節:「イエス様はガリラヤ中を回って」と、原文では「イエス様はガリラヤ中を訪ねておられた」とあります。ではイエス様は何をされながら…ガリラヤ中を回っておられたのか?
1、「諸会堂で教え」とあります。これは原文では「彼らのシナゴーグで教え」ながら…と書かれていますからイエス様はいわゆるユダヤ教の会堂で教えておられたということになります。この記述は、「これらの会堂は、(マタイによる福音書が書かれた時代の)自分たちの会堂とは異なる!」ということを示しているかのようでもあります。2、「御国の福音を宣べ伝え」ながら…とあります。これは、これから始まる山上の説教のことをほのかしているかのようでもあります。3、「民衆のありとあらゆる病気や患いを癒やされ」ながら…とあります。山上の説教が終わると行われるイエス様の癒しの業が示されているかのようでもありす。
24節:「イエスの評判がシリア中に広まった」とあります。そして「そのシリアの人々がイエス様のところに来た」とあります。何故ここでシリアが登場するのか?ということについては、シリアとは、マタイによる福音書が成立した場所であるからだとも言われています。
25節:こうして、イエス様の元には大勢の「群衆」が集まるようになりました。異邦人的なシリアとデカポリス、異邦人のガリラヤと称されていたガリラヤばかりではなく、いわゆる敬虔なユダヤ教の中心地であるエルサレムやユダヤからも大勢の「群衆」が来て、イエス様に従うようになりました。
(適用) 
私たちは「群衆」という言葉に対しては必ずしもいいイメージを持っている訳ではありません。しかし、「群衆」という言葉を、他の聖書箇所で見ていきますと、イエス様は、群衆と見なされている人々に対しても「深い想いを持たれている」ということが分かります。いわゆる「五千人の給食」と呼ばれる出来事の際には、どれだけイエス様が人里離れた所に行っても群衆はイエス様の後を追い続けます。するとイエス様はそんな群衆を見て「深く憐れ」んだとあります(14:14)。また、同じような「四千人の給食」のお話の際には、イエス様ははっきりとこのように仰っています。「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。『群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくない。途中で疲れきってしまうかもしれない。』」(15:32)
一方で、「弟子」という言葉に関しては、特別なメージを持つかもしれません。では弟子たちは何故特別なのか?と申しますと、弟子たちとは例えば、立派だから、知識があるから、行いが素晴らしいから特別であるという訳ではありません。むしろ弟子たちが、それでもなお特別な存在であるとしたら、弟子たちには使命がある/果たすべき役割があるという意味において特別であるのでしょう。実際、「四千人の給食」のお話においてイエス様は、七つのパンと少しばかりの魚を取って、祈りを唱え、それらを裂いた後、弟子たちにお渡しになります。そして弟子たちがそれらを群衆に配ることとなります。かつて私が群衆の一人であった時、それでも私の耳にはイエス様が語られたお言葉が届けられました。かつて私が弱り果てて打ちひしがれていた時、そのイエス様のお言葉を、聖霊の働きを受けて、誰かが「とても大切なもの」として届けて下さった。つまり教会が/教会の働きが、群衆の一人であった私にもイエス様のお言葉を届け、イエス様の業を示して下さっていた。だから私は、今、教会にいるし、きっと皆さんもそのようにして教会におられる。そうしますと、仮に、イエス様の弟子という存在が、 いいえ、キリスト者という存在が特別であるとするのならば、私たちは私たちにも使命があるという意味において「初めて特別である」と言えるのでしょう。今日の聖書箇所の出来事の後、イエス様は山に登られ、いわゆる山上の説教を始められます。そのお言葉には力がある。私たちを生かす。そして私たちを召し出していきます。その働きに、群衆も弟子もありません。




前   奏   - 主はわがかいぬし -      柳瀬佐和子         
招   詞   イザヤ書2章3節(下記)
賛   美   讃美歌21-544 イェスさまが教会を
主の祈り  
聖   書   マタイによる福音書4章23-25節(新約p.6)
祈   祷   
黙   想
説   教   「群衆も弟子も」        浅輪一郎伝道師
祈   祷 
賛   美   讃美歌21-504 主よ、み手もて
献   金  
感謝祈祷
賛   美   讃美歌21-28 み栄えあれや
祝   祷                     長谷川温雄師
後   奏
分かち合い

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多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。(イザヤ2:3)











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