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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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教会広報担当が発行する教会機関誌「おちぼ」年数回の発行で、教会員、幼稚園へ配られます。

おちぼ123号 財務の奉仕に携わって考えること

■財務の奉仕に携わって考える事
              岡野きよみ 財務委員長

『昭和二十三年四月捜真女学校がやっと中丸に復帰。捜真の丘の上に讃美歌の歌声が聞かれるようになった。一九四五年五月の空襲以来、捜真の丘から消えていた讃美歌がやっと戻ってきた!これは捜真女学校に連なる教師、生徒、同窓生の感謝の思いである。
 神の国の福音はすべての人に!捜真女学校に連なる者ばかりでなく、すべての人に、地域の人々に、男にも、女にも、年寄りにも、若者にも伝えられなければならない。千葉先生はそのために教会を作ることを祈り求めていらした。その時は一九四八年九月二十六日に来た。捜真女学校の粗末な木造の校舎の音楽教室(そこが一番広い教室だった)で最初の礼拝に参加出来、嬉しくて感謝で一杯だった。以来毎日曜日、女学校の校舎を借りながら、老若男女が集い、神の前に礼拝を捧げ、福音の伝道のために祈り働いた。』

 2011年2月18日、神様の御許に召された竹内北子姉が「おちぼ」第62号に「昔のことなど」と題して記されていました。62年前、教会の先達の祈りによってこの栗田谷の地に教会が起こされました。そして何より、この地に教会が起こされることは、私たちの思いをはるかに超えた神様の御心でありました。62年前にこの地に教会を造られた神様は、今日もここに生き、働かれ、私たちに主イエス・キリストを信じる信仰を与え、教会に呼び集めてくださいました。
 『一九五二年十月、栗田谷七十五番地の現在の土地を与えられた。しかしその当時家を建てるのは非常に難しかった。物資はまだ不足していたし、教会員の収入は低かった。皆は祈りつつ力を合わせ、少しずつ捧げ続けた。一九五五年五月やっと教会堂兼幼稚園舎を建てることが出来た。この教会堂を設計、監督した江崎兄は、日本的な感じを出したいと、玄関にもうそう竹を一本柱として使用、建物の隅々まで気を配り、少ないお金で当時としては最上のモダンな建物が出来上がった。現在その場所に教育館(幼稚園舎)が建ち、その玄関には当時の竹が使われていて、経済的に苦しかった昔を思い出させる。』

 物資の有り余る時代ではありません。自分たちの生活もままならない頃でした。それでも、福音を捜真の丘に生きる人々に伝えるため、祈り、少しずつ捧げ続けたのです。「少しずつ」とありますが、決して「少し」ではなかったはずです。レプトン銅貨2枚を捧げたやもめのように。そして「最上」の建物が完成しました。見た目だけでなく、先達の祈りと願いに満ちた神様への「最上」の捧げものでした。喜びと希望に満ちた捧げものでした。

 現在、感謝なことに、礼拝堂には床暖房が設置され、暑い夏には冷房や扇風機で空調が整えられます。アンプも新調され、礼拝を捧げる環境は整いました。それでも私たちの要望は次から次へと留まることがありません。もっとこうであればいいのに、という声が聞こえ続けます。既に精一杯献金を捧げているのに、まだ足りないと言われ、もう教会に来ることができないという声も聞こえます。痛みを覚えます。そして、どちらの声ももっともらしく聞こえます。
けれどもそこに浮かび上がるのは、自分の願いばかり述べる私たちです。結局は、神様のためにと言いながら、神様を愛するよりも自分を愛していることに気づきます。

 捜真バプテスト教会は、「福音伝道」という目的を掲げて歩み続けています。62年の歩みの中で、与えられなかったものは何もありませんでした。神様が、必要な時に必要な物を備え、与えてくださいました。自分のためでなく、神様のために、神様の愛する隣人と分かち合って生きるとき、私たちは初めて本当の喜びを見出します。神様を愛するように、隣人を愛するように、神様は私たちを造られました。それでも神様から離れ、自分の願いに生きようとする私たちのために、主イエス・キリストの十字架と復活がありました。

 62年前の教会の先達の祈りと神様の導きのもと、今を生きる私たちは主イエス・キリストを信じる信仰を与えられました。新しい世代の信仰のために、救いの喜びを分かち合いましょう。福音を捜真の丘に、という先達の祈りと神様の御心を、今一度思い起こしましょう。

「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」ヨハネ16:23〜24