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教会広報担当が発行する教会機関誌「おちぼ」年数回の発行で、教会員、幼稚園へ配られます。

おちぼ 126号 「神学生として派遣されて」後編

■「神学生として派遣されて」後編
藤巻正悟

そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。(使徒言行録 第8章35節)

 マルティン・ルターの宗教改革運動は、今から遡ることおよそ500年、1517年10月31日に始まりました。この日、ルターはウィッテンベルク城の教会に『95か条の提題』と呼ばれる文書を掲げ、そこから宗教改革の火蓋が切って落とされます。 もともと法律学の学徒であったルターが神学者に転じたのは、落雷に遭遇したことがきっかけでした。ルターが友人と共にシュトッテンハイムという郊外を歩いていた時、突然激しい雷雨に襲われることになります。そして物凄い閃光と轟音を伴ってちょうど自分たちのいた場所に雷が落ちたのです。その結果、一緒にいた友人は命を失いましたが、ルターは生き残った。落雷の直前、ルターは天の声を聞いたとも、あるいは自分を献げるから命だけは助けてほしいと必死に神に祈ったとも言われています。いずれにせよ、雷に打たれるという極めて衝撃的かつ具体的な出来事を通して神の導きを感じ、ルターは法律の学びを放棄してアウグスチノ会の修道士となったのです。

 献身というのは、さながらルターのごとく、神が示された何か劇的な出来事に出くわしたことが理由でその道に進むことと思っている方が案外多くおられるようです。もちろんそういった体験によって献身への道が開かれたという方もいらっしゃると思いますが、そうではないという人も少なくありません。私も後者に属する者です。

 私は大学2年の時にバプテスマを授かり、その直後から始まった就職活動の際、伝道者になろうと考えたことは1回たりともありませんでした。可能性としてすら頭に思い浮かべたことは全くなかったのです。普通に就職し、普通に働き、普通に一生を終えるのだと信じていました。
 ところが、社会人生活を通して献身の道が示されました。一般企業で働いたのは4年弱でしたが、この間に何か劇的な出来事があったのではありません。むしろそのようなものは何ひとつとして起こらなかった。1人の社会人としてごく普通に教会生活を営む中で、いつの間にか自分には献身の道しか見えなくなっていたのです。毎週の礼拝の積み重ねを通して、また毎日の御言葉との触れ合いを通して、私は静寂の内に伝道者としての神の招きを確信するようになっていました。

 強いて言うなら、会社勤めをしていた後半の2年間、東京神学大学の公開夜間神学講座という信徒向けに銀座で開講されている週に2回の夜学に通ったことが、献身へと私の背中を押したと言えるでしょうか。それは初歩の学びに過ぎませんでしたが、神学の楽しさを知る2年間となりました。
 召命というのは、気づいた時にはもはや、目の前にその道しかなくなってしまっているということです。そしてそれを信仰をもって受け入れることが献身です。

 使徒言行録第8章に登場する「フィリポとエチオピアの高官」の個所との出会いによって私は受浸の決意をしたのですが、神学校に行く決意を与えられた時には、フィリポのような伝道者になりたいものだと考えていました。果てして現在の自分がそのような伝道者であるだろうかと、自問自答しています。



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