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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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教会広報担当が発行する教会機関誌「おちぼ」年数回の発行で、教会員、幼稚園へ配られます。

おちぼ 124号 「神学生として派遣されて」前編

■「神学生として派遣されて」前編
              藤巻正悟

 2011年度より捜真バプテスト教会に帰って参りました藤巻正悟です。出身教会に戻って過ごす日々が来るというのは、全く予想もしていなかったことです。人の思いを超えた神様の導き(イザヤ55:8-9)の不思議さを感じずにはいられません。
 26歳にして牧師になることを志し、東京神学大学という牧師養成学校で学んでいたここ4年間は、日本基督教団・美竹教会(東京都渋谷区)において客員の神学生として教会生活を送ってきました。ですから、この4年間は捜真教会に籍を置きつつも、ほとんど礼拝に来ることはできませんでした。また東神大在学中は学校敷地内の学生寮に入っていたため、三鷹市民として暮らしていました。生まれて以来26年にわたって住み続けてきた横浜を離れて暮らす経験は、さまざまな発見があって新鮮でした。

現在は、日本バプテスト神学校(戸塚区)のバプテストコースという課程で学んでいます。神学校生活も5年目になりました。正式な牧師となるためには、まだまだ時間がかかりそうです。しかし、取り敢えずは今年度をもって神学生と呼ばれる日々にピリオドが打たれることを夢見つつ、拙いながらも勉学に励んでいるところです。皆様の篤いお祈りに支えられて神学生生活が続けられるということは、本当に感謝に堪えません。

 私と捜真バプテスト教会との関係について少しだけ紹介します。捜真バプテスト教会に初めて足を踏み入れたのは小学1年生、6歳の時でした。捜真小学校に入学したことがきっかけです。ちなみに、誤解されている方がわりと多いので申し添えますと、私は捜真幼稚園の出身ではなく上星川幼稚園のOBです。上星川もキリスト教教育を建学の精神とする幼稚園ですので、毎日のように礼拝がありました。当時は教会学校に行ったことは一度もありませんでしたが、小学校入学と同時に教会学校に通うようになり、教会との関係が始まったという訳です。多くの教会学校の先生方に育てていただき、小学生時代は毎週のようにCSに通う真面目な児童でした。小学生の私にとって、CSは先生方が自分たちと一緒に遊んでくれる、とても楽しいところでした。けれども、残念ながらよくあるケースではありますが、中高生になると自然と教会から足が遠くなってしまい、つかず離れずといった感じの不真面目な教会生活となりました。

 それでも私は、キリスト教に対する根本的な信頼感あるいは安心感とでも言いますか、自分の精神的な故郷がキリスト教にあることを心のどこかで常に感じていました。関東学院中高で受けた6年間の教育も大きく影響したと思います。ある問題を抱えた家庭に育ったこともあってか、不確かさに満ちた人生において、自分を決して変わることなく支えてくれる確かな土台がほしいという願いを次第に抱くようになっていったのです。Uコリント4:18の御言葉を通して、たとえ人の目には見えなくともすべてを恵みの内に導かれる神様がおられることを確信するようになったのは、大学1年の終わり頃でした。そして20歳を迎えた直後のクリスマス礼拝で、天野功牧師よりバプテスマを受けました。

 今になって振り返りますと、当時の私は罪の自覚や、キリストの十字架による罪の赦し、また復活に関する理解等は非常に希薄であったことは否めません。キリスト教という宗教に対する理解は大変に浅いままで、バプテスマを志願した訳です。全くお恥ずかしい限りの話です。しかしながら、そのような私がやがて献身を志すようになっていくのですから、人生は何が起こるのか本当にわかりません。
 次号では献身について書かせていただきます。