本文へスキップ

横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

お問い合わせはTEL.045-323-2967 

〒221-0804 神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43

機関紙paper

  機関紙 > おちぼ124号 > おちぼ124号 東日本大震災からの復興を願う!

教会広報担当が発行する教会機関誌「おちぼ」年数回の発行で、教会員、幼稚園へ配られます。

おちぼ124号 東日本大震災からの復興を願う!

■東日本大震災からの復興を願う!
               牧師 森島牧人

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災から、はやくも7ヶ月が経過しました。しかし今なお被災者の困難は続いています。また併発した原発事故によって、私たちの生活の場と自然が汚染され、恐れと不安が増し加わっています。皆様方の関係者にも災害に遭われた方々が多数居られるのではと心を痛めています。被災された方々へ心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復興に向け、私たちも教会を上げて祈り、且つ具体的に支援してまいります。

 今回の大惨事の報に触れ、ひとつのことを思い起こしました。それは、米国北部バプテスト海外伝道協会から日本に派遣されてきたベンネット博士のことです。ベンネット宣教師は、日本人のための日本人牧師を養成する必要性を強く願われ、聖書の日本語訳で著名な日本宣教の先輩宣教師ブラウン博士等と共に、横浜の山手に「横浜バプテスト神学校」を創設して初代校長となられた方です。ベンネット夫人の手になる小伝(多田貞三訳)には、〈1896年6月、三陸沿岸に大きな津波があり、(明治三陸地震津波です)、僅か1 時間の間に8百戸の家屋が崩壊し、2万人以上が死亡、約3千人が負傷した。横浜居留地では、被災地に救援物資を届けるため3名の宣教師を選んだ。その一人がベンネット博士であった。他の2人は長く現地に留まることが出来ず、残る仕事は全て彼の肩に懸かっていた。彼に託された義援金は数千ドルに上った。彼のメモには「物資の購入は委員会で決め、漁網用麻、コンデンス・ミルク、布団、漁船等。配布の仕事は自分に任せられた」等々、その活動は具体的に記されている。また、Japan Mail 紙にも、「東北地方の被災者ばかりでなく、東京及び横浜在留の外国人からも、彼らの送った慈善的援助物資をまことに行届いた配慮を以て配布してくれた」と評され、日本政府からは、博士の献身的奉仕に対し金杯が贈られた(ブラウン大所蔵)。〉とあります。

 博士のこのような姿を見てきた人々は、横浜外国人墓地にある彼の墓石に“He lived to serve”(彼は奉仕のために生きた)と刻みました。後に関東学院でも教鞭をとった藤本伝吉氏は、彼を想い、「神の人よ」と題する讃美歌213番を作曲しています。私たちも、今、このバプテスト派の伝統の内に、この同じ志の下に協働し、今回の大震災に対しても最大限の支援活動を進めて行きたいと考えております。

 そこで、日頃よりキリストにある奉仕教育活動を支援して下さっている多くの方々に深く感謝すると共に、特に私ども捜真バプテスト教会が、これからも主の御用のためしっかりと歩むことが出来ますように、更なるご理解とご協力・ご支援を、お願い申し上げる次第です。

 私も先日、東北の各地を廻り、ボランティア活動を受け入れ下さった防災センター、社協、教会、姉妹校尚絅学院に感謝の言葉を伝えて参りました。南三陸町では、大学生ボランティアを問安・激励しました。錦織バプテスト教会に藤岡先生を訪ねた後、今回関東学院中高生ボランティアが大変お世話になった塩釜キリスト教会を訪問し、牧師・教会員・仮設住宅に一時避難している住民等と今後の事を相談しました。そして在日各教派の宣教師住宅が近くにある七ヶ浜伝道所を周って仙台市内に移動。バプテスト同盟の協力団体で姉妹校でもある尚絅学院と尚絅教会を問安し、特に尚絅教会の建物の被害のひどさに愕然と致しました。早急に会堂建築計画と一時避難用の仮施設を求めねばならない状態です。その後、関東学院六浦中高生が今回のボランティアでお世話になった教団の五橋教会の宮川牧師に、お礼と今後の協力を依頼してまいりました。

 駆け足ではありましたが、気仙沼地区以外(牧師不在のため)の各地を訪問することが出来ました。被災地の皆様方からは、たくさんの感謝の言葉と復興支援活動の継続を願う言葉を頂いて戻って参りました。